ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

あぁ、僕は京都に住みたい

先週の火、水と京都に旅行に行ってきた。
ど平日まっただ中になぜそんなことができるのかというと、僕は非常勤講師で学校はテスト期間だからだ。そして嫁さんも平日が休みだったからだ。

京都に行って少しゆっくりしたかったし、もう一つは京都の家を見て回りたかった。

今住んでいるところが悪いというわけではない。しかし人が住むには少しゴミゴミしているし、2年半も住んで飽きてきたし、ちょっぴり高い。
それで今年の中頃から新たな家を探していた。
ところが、探せど探せどどれもこれも何かが違う。不動産屋を通じて家を見に行ってもまったく心がときめかず、いつの間にか家探しはうやむやになっていた。

そうして数ヶ月経った先々週、嫁さんからラインが数件続けて送られてきた。京都の物件情報だった。嫁さんは物件を探すのが好きみたいで、家探しがうやむやになってからも一人色々と調べてくれていたようだ。

それで先週の火、水と京都に遊びに行くついでに少し物件も見てみようか、となった。

以前の日記でも触れたが、僕は京都に住んでいたことがある。3年ほど前のことだ。ニートをやっていたわずか数ヶ月のことではあったが、素敵な記憶として僕の心の中にしまわれている。
yoakenoandon.hatenablog.com

あるいはそれは「京都」という場所に関係なく、あの何もない、どうしようもない状態を数ヶ月続けたことによって生まれた特別な印象だろうかと思っていた。
だけど、先週京都に行ってそれだけじゃないことが分かった。


出町柳に降り立った時、嫁さんは「空が広い」と言った。空を見上げてみて、本当だと思った。
それから嫁さんと久々の京都の街を歩く。京大の近辺を、街路樹の名前をあれはなんだこれはなんだと言いながら嫁さんと歩く。平日の真っ昼間なので人もそれほど多くはない。
人も木も建物も車も、京都でも他でもみな同じはずなのに何か違う。

やっぱり京都の街は何かが決定的に違っている。うまく言えないが、街の心ざわりとでも言うんだろうか。心地よくて幻想的だとすら思える何かがあるのだ。見えるはずもないのに、僕にはまるで空気の色まで違って見える。住んでいた頃も同じ気持ちだった。
その日見た夕焼けの色も確かに違っていた。

あぁ、そうかと思った。特別だったのは僕の体験ではなく、「京都」だったのだ。

嫁さんと物件を見る。同じような物件は大阪でも見てきたはずなのに、この胸の高鳴りはどうしたことか。

長屋のようなおうちを中心に見て回った。どれも素敵だった。

僕は京都に住みたかったのだとその時分かった。僕がずっと憧れてきたのは、あの数ヶ月の京都での生活だったんだ。大阪でいくら家を探してもピンと来ないはずである。
それはあくまで憧れであって現実にはできないと思っていた。だから心の表面に浮き上がってこなかった。家族や仕事や友人や、そんなこと考えると軽々には動けない。まず現実的ではない問題に頭を悩ませる必要はない。

だけど、先週京都に行って、家を見て回るうち、京都に住むという憧れが超現実になってしまった。京都に住んでいた時の感覚に火がついて蘇ってしまった。
幸い僕も嫁さんも今は割に自由に動ける身だ。できないことはない。ゴチャゴチャしたことは京都に住んでから考えればいいじゃないか。
それは危険な考えだろうか。

だけどあの広い空の下で、嫁さんと新たな生活を始めることを考えると、どうしようもなく胸がドキドキしてしまうんだ。


あぁ、僕は今ものすごく京都に住みたい。