ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。

大塚国際美術館へ行った

2018年6月16日朝8時、レンタカー屋さんへ車を取りに行く。利用したのはオリックスレンタカー。24時間で免責保障ついて5000円ちょっと。安くないか?
コンビニでサンドイッチ他、朝ご飯買い込んで出発。嫁さんと久々のドライブデートだ。
目指すは大塚国際美術館。僕も近頃絵を描くようになって、やはり一画伯として世界の名画に触れておかねばなるまいと、嫁さんは既に一度行ったことがあると言ってるにも関わらず、僕のごり押しで目的地が決まった。レプリカとはいえ、ものすごい数の世界の名画を実物大で見られるというのはとても魅力的だ。
ダ・ヴィンチミケランジェロシャガールにクレーにピカソ。待っていなさいよ、すぐに行くから。

梅雨の晴れ間というのだろうか。良すぎる天気の中、快調に車は進む。明石海峡大橋を越え、大鳴門橋を越え、11時には徳島へ。途中淡路島を友人と二人、自転車で一周したことを懐かしく思い出し、さらに良い気分になった。

大塚国際美術館は橋を渡ってすぐのところにあり、徳島の中心部からは少し離れている。昼ごはんをどうしようか、と嫁さんと相談しながらラーメンがいいとか、うどんがいいとかお互いに言っていたが、どうにも美術館の周りにそれっぽいところはなく、徳島の中心部まで行くような時間は絶対に無いと嫁さんが言うので、美術館の中で食べることにした。僕はこの時、1時間ぐらいかけて徳島の繁華街まで行って帰ってきても13時過ぎには帰って来られるのだから、時間が無い、ということはないだろうと少し奇妙な感じがした。美術館は17時までやってるのだし、2時間もあれば見て回れるのではないのだろうか、そう嫁さんに言ってみようかと思ったが、なにせ向こうの方が美術館に関しては大先輩の大ベテランなので黙って身をゆだねることにした。結果的に嫁さんの言うとおりだった。大塚国際美術館は普通の美術館ではなかったのだ。

美術館の駐車場は美術館からは1kmほど離れた海岸沿いにあって、くそ暑い中この距離歩かなきゃならんのかと思ったが、ちゃんと駐車場からシャトルバスが出ていた。
バスを降りてチケットを買う。なんと大人一人3240円。たけえっ!高すぎんぞ!美術館って普通2000円弱じゃないの……嫁さんに確認を取ったところ、確かにそれはその通りだが、この美術館は普通ではないし、置いてあるものの量が違いすぎるからしょうがない、とのこと。
うーん、そうなのか。さっきから何だかモヤモヤすることが多いなあ。

美術館に入るといきなりめちゃめちゃ長いエスカレーター。地上が地下5階ということになっていてそのエスカレーターで地下3階まで行く。
地下3階に上がっていきなり度胆を抜かれた。目の前にシスティナ礼拝堂が現出している。おいおい、実物大ってこういうのも実物大でやってんの。すごない?すごすぎない!?
システィナ礼拝堂内部に描かれるミケランジェロ最後の審判はでかい、とにかくでかい。絵がうまいとかうまくないとかそんなことはどうでもいいんだとこの瞬間に僕は悟った。圧倒的な大きさのものを目の前にした時、人は言葉を失ってしまう。心揺さぶられてしまう。実物大のミケランジェロの壁画に囲まれて、僕は震えるほど感動した。いきなりこんなものをぶち込んで来るとは、焦るぜ大塚国際美術館

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でかいことはいいことだとこの時悟った。
しばしの時をシスティナ礼拝堂の中で嫁さんと過ごし、それから地下3階を見て回り始めた。お昼ご飯は地下3階を見てから、ということになった。
システィナ礼拝堂のミケランジェロから、フェルメール、エル=グレコ、古代に中世……次々に絵を見て回るもしかし、この地下3階が全然終わらない。最初、気になったものは説明文を読んだりしていたが、途中からその元気も無くなり絵をざっと見るだけになっていった。しかしそれでも終わらない。永遠の狭間に落とされたのではないかと、身も心もヘロヘロに疲れ果てた頃にようやく一通り見終わった。とその時は思っていたが、家に帰ってからまだまだ見ていないところがあることに気が付いた。
地下3階を見た時点で嫁さんの言うことがよくわかった。とにかく量が尋常ではない。この美術館の持ち物を全部じっくり見ようなどとは間違っても思わないことだ。一日かけてもそんなことはできない。自分の目当てとするものを予め決めておいて、焦点を合わせておくのが吉だと思った。
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地下3階にあった嫁さんお気に入りの絵。真ん中に横たわった魚が良い。地下3階にはその人だけが好きな掘り出し物もある。
地下3階地獄を抜け出した僕たち二人は、お昼ご飯を食べに1階別館のレストランへ向かった。僕は海鮮丼を、嫁さんは鳴ちゅるうどんなるものを注文した。会計は2200円。
腹ごしらえをしたところで僕は、地下3階地獄の疲れも手伝って急激に眠くなってきた。このままではあと4フロアの絵を楽しく見ることはできない。嫁さんにお願いして館内のベンチで少し眠らせてもらうことにした。レストランから美術館1Fに向かったヘロヘロの僕は、館内に入り目の前に現れた絵にまた度胆を抜かれた。ピカソゲルニカだ。
でけえ、これも思ってたより全然でけえ!!
サイズが圧倒的に違うと同じ絵でも全く違ったものに見える。教科書で見ていたゲルニカと全然別物だと、実物大を見てドキドキしながら思った。やっぱり巧拙じゃない、何か気合いとか根性とかそういうものがほとばしってるように見える。「偉大」と呼ばれるものは全てサイズもでかいんじゃないかと思ったほどだ。
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でかいことは偉大なことでもある。この写真では偉大さがまるで伝わらないが。
そのゲルニカの前におあつらえ向きにソファが据えてあり、しかも日陰になっているのでゲルニカを眺めながらそのソファで10分ほどの眠りに落ちた。途中隣のおじさん二人がピカソについて何かを語っていた。多分ピカソは余計な線を描かず1本の線で絵を描き上げるとかなんとか、夢うつつでそんな話を聞いた気がする。それが本当だとしたらピカソってのはとんでもない。そんなのは人間技じゃない。

目が覚めて、随分と頭もスッキリして、地下2階へ。ルネサンスバロックのフロア。
キリストに次ぐキリストに次ぐキリスト。このフロアの印象はとにかくそれ。あまりのキリストの多さにキリスト酔いした。しばらくキリストの絵は見たくない。
あと印象的だったのはダ・ヴィンチモナ・リザ。思っていた絵と全然違った。僕はずっと、モナ・リザは冷たくて気持ちの悪い絵だと思っていた。
でも大塚国際美術館モナ・リザはすごく優しくて、暖かな絵だった。不思議だ。教科書で見るのと同じはずなのに。なんでこんなに違うんだ。吸い込まれそうな感じがして、この絵ならずっと見ていられると思った。ちなみに僕は高1の頃、ほとんど初対面の女の子から「モナ・リザに似てるね」と言われたことがある。モナ・リザに似てることが良いことなのか悪いことなのか分からなかった僕は、多分うんともすんとも返事をしなかったように記憶している。にも関わらず結局その子は、高校の3年間、僕のことをひたすら「リザ」と呼び続けた。本当に似てると思っていたのだろうか。嫁さんにこの話をしたところ「似てない」と言われた。

地下1階へ。なんだか階層が上がる度心が晴れやかになっていく気がする。この階へ来てようやくキリストから解放された。
地下1階は素敵な絵だなと思える絵がたくさんあった。印象に残ったのはモネの絵。近くで見ると落書きみたいでかわいい。遠くで見るとはかなげで、しかしやっぱりかわいい。
地下2階できれいで上手で正確な絵ばかり見せられたので、この地下1階で見る絵はどれも自由で開放的な印象を受けた。同時に、素敵な絵というのは不思議だとも思った。地下2階で上手で正確な絵を見せられても心は全然動かなかったのに、この地下1階の絵の、ウキウキとするような感じは一体どういうことだろう。欲しいな、と思える絵がこの地下1階から上にはたくさんあった。この美術館に来てから何度も思ったことだが、うまいとか下手とかじゃない何かがそういう絵には宿っているのか。

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クリムトの絵。MAXロマンティック。地下1階楽しすぎ問題。
地下1階を見終わった時点で今度は嫁さんが眠気に襲われ始めたので、ケーキとコーヒーを頂きに地下2階、モネの庭に向かった。睡蓮を眺めながらしばしの休憩。時間はすでに16時前になっていた。

最後の一踏ん張りで1階と2階を見て回る。現代美術の階層。抑圧から開放へ、闇から光へ、大塚国際美術館はやはりわざとそういう順序になっているのかな。地下から上がってきて中盤以降、気分としてもどんどん楽しくなる。
嫁さんはシャガールとクレーが好きみたいだったけど、残念ながらその二人の絵は少なく、特にシャガールの見たかった絵が無かったみたいで、少し気落ちしていた。クレーの絵の前で写真をパチパチ撮って気分を直す。

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クレーの絵。大変かわいい。
僕にはピカソの青い自画像が記憶に残る絵となった。ピカソの自画像は別にでかくはなかったけど、あまりにも「暗い」のでビックリした。とんでもなくダークネス。でも怖くも気持ち悪くもない。とても静かな絵だと思った。

一通り全て見終わったところで、嫁さんが地下3階にまだ見ていない素敵なところがあるから是非行こうと言うので再び地下へ向かった。閉館前でほとんど人がいない中、嫁さんが連れて行ってくれたのはスクロヴェーニ礼拝堂というところで、天井に星が散りばめられたフレスコ画の描かれた建物だった。
誰もいない礼拝堂内でベンチに座る。かすかに教会音楽が聞こえてくる。嫁さんと二人きり、深い青の天井を見上げたまま、何もしゃべらないで、10分ほどの時を礼拝堂で過ごした。
このスクロヴェーニ礼拝堂は、今回の旅行のハイライトになった。

帰りにどこかで器を見て帰りたいという嫁さんの希望も虚しく、徳島でも淡路でも、大体の器屋さんは午後5時か6時で閉まってしまうので、大人しく適当なところで温泉に入って帰ることにした。

夕暮れ時の淡路島の海は白に薄い青を混ぜたような色だった。そこに夕焼けのオレンジが溶けだしている。輝く海と、暗く沈んでいく景色の中を僕らの車は走った。まるで僕と嫁さん以外、この世界から消えてしまったみたいだった。

寿司を食べ、温泉に入って家に帰ると深夜2時半だった。

スラムダンク新装再編版を買った

近頃なんやかんやと絵を描いていて、どうにも描きたいものを描いてる方がやっぱり楽しいので、なにか資料になるようなおもしろい写真集はないかな、と本屋さんに行った。

色々と興味深いものはあったのだが、いかんせんどれも高い。いや写真集の値段としてはいたって普通なのかもしれないが、僕自身今まで写真集というものを購入したことがなかったので、その値段にちょっと尻込みしてしまった。

どうしたものかと本屋内をウロチョロしてると一枚のポスターに出くわした。スラムダンク新装再編版のポスターで、初めて見る桜木花道が描かれてあった。

スラムダンクは僕が中学生の頃連載されていたマンガで、当時バスケ部だった僕が夢中になって読んだマンガだ。ジャンプを立ち読みし、小遣いから単行本を購入した。僕だけじゃない。バスケ部の連中は皆読んでいた。当時バスケをしていた人間で流川に憧れなかった人間はいまい。僕の部屋の天井にも流川の切り抜きのポスターが貼ってあった。いつか流川のようなプレイができたら、と部活が終わってからも真っ暗な公園で必死に個人練習に励んだ。今思い返してみて、あの頃の僕が人生の中で一番よくがんばっていたと思う。今なんかよりはるかに。
肝心の僕らのバスケ部は、うまくまとまれずに崩壊してしまったけど、それでも個人個人が非常に高いモチベーションを保っていたのはスラムダンクのおかげだったと思う。

高校に入ってたくさんのマンガを読むようになると、まあなんと言うのだろう、ミーハーでメジャーなマンガをけなしたくなるような気分が僕の中に芽生えてしまった。僕にはそういう良くないところがある。小6の頃からブランキージェットシティに夢中だった僕は、音楽方面でも、テレビに出てくるような人間の音楽を聞く奴はアホだと思っていた。なんて嫌な奴だ。お前もちっちゃい頃必死に『SAY YES』歌ってたじゃねーか。
とにかくそういうわけで、スラムダンクとはすっかり距離を置くようになって、マンガに関しても音楽に関しても僕は狭い方へ狭い方へと突き進んでいった。誰も知らない僕だけの宝物が欲しかったのかもしれない。
本当はスラムダンクが大好きだったはずなのにな。

そうこうしてるうち、僕の家が放火にあい、僕の持っていたマンガは全部灰になった。JOJO松本大洋スラムダンクも、全部灰になった。
その頃の気持ちを思い出すことはできない。一体僕はどういう気持ちで毎日を過ごしていたんだろうか。何もかも燃えてしまってショックだったんだろうか。思い出せない。

それから大学に入り、再びマンガを集め始めた。以前持っていたマンガはいまだに全部集まりきってはいない。絶版になってしまってもう手に入らないものもある。だからといって別にあの時火事がなければ、とかなんとかそんなことは思ったことがない。燃えてしまったものはしょうがない。

スラムダンクに関しては何故だか集め直す気が起きなかった。大学に入って個人的にバスケも再開したのにな。どうしてだろう。
ただ、山王戦だけは中古で買い揃えた。その時買った26巻~30巻は現在でも持っている。逆にそこしか持っていない。最終巻となる31巻は買わなかった。もともとは持っていたが、燃えてしまってから現在に至るまで31巻は買っていない。多分、悲しくて寂しい気持ちになるのが嫌だったんだと思う。


本屋で新装再編版のポスターを見たとき、すぐに買おうと思った。全然迷わなかった。無くしてしまった宝物を取り戻す機会がやってきたんだと、素直にそう感じたからだ。ひねくれた時期はどうやら終わりを告げたらしい。

本を買って嬉しい気持ちになるのも久しぶりのことだ。井上雄彦先生が新たに描かれた表紙絵を見ているだけで幸せな気持ちになる。それだけで買う価値があると思った。

近頃なんだかノスタルジックだ。

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そこの本屋は売り切れてたので何軒か回ってまとめ買いした。
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新装再編版6巻の表紙を目にしたとき、そのミッチーの表情に鳥肌がたった。井上雄彦先生、しびれまくるぜ。
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ノスタルジックが止まらず、近頃取り憑かれたように浅井健一ばかり描いている。そういや写真集何も買ってない。

僕は出来る限り嫌な仕事から逃げ回りたい

僕はだらしのない人間だ。
やりたくない仕事が僕を追っている時、できる限り知らんぷりをする。
そうして逃げて逃げて逃げまくった先に捕まって、ようやくその仕事をする。
だから仕事の先取りをするということがない。
このクセを何とかできないものかと思うが、何ともできない。

最近で言えば授業のプリント作りが僕を追う者となっている。パソコンでの原案作成からペンでの書き込みまで、一日の5時間ほどをこれに費やさなければならないことがわかっているだけに、余計に着手するのが嫌になる。
結局その仕事を放りだすわけではないので、見方を変えればその仕事をいつするか、というタイミングだけの問題になるわけだが、自分で自分のことが嫌になるのは、その仕事からの逃げ方が非常にまずいことだ。
何か楽しいことをして逃げるならまだしも、全然楽しくもなんともないことをしてイタズラに時を過ごしてしまう。例えばダラダラと動画を見たり、何度も読んだ漫画を読み直したり。くだらない動画を見ていてそのまま寝てしまうこともある。目覚めた時のどうしようもなくドス黒い気持ちを一体どうすればよいのか。
そんな逃げ方をしたが最後、仕事をする前、仕事に着手する時、仕事を終えた時、全てにおいて最低な気分が持続する。

絵を描いたり、文章を書いたり、運動をしたり、このブログのことを考えたり、一日のうちでしたいことはいくらもあるのに、僕はそれを後回しにする。つまり、そのしんどい仕事が終わった後に楽しいことをしよう、と考えるわけだが、経験上仕事を順調に終えて、それら自分の楽しみなことができた記憶は皆無だ。つらい仕事を終えた時点で待つ楽しみは、泥のように眠ることだけに変容してしまっている。
絵は毎日描き続けているが、大体は電車の中で描いたり、どこかの隙間時間を見つけて描いている。もちろんプリントに入れる挿絵以外の絵のことだ。文章はここのところほとんど書けていない。
最近の自分を客観的に見てみると、まるでプリント作りとそれから逃げることだけのために生きているような感すらある。「感すらある」どころかまさにそうだ。活動時間のほとんどがその二つだけで占有されている。つまり楽しみなことが何一つ十全にできていない。
バカげた話だ。このブログの最初の方でスプラトゥーンをやめたという日記を書いたと思うが、ゲームをやめてできた時間のほとんどが動画再生時間とそれに伴う睡眠時間に費やされてしまっている。虚無に時間をどんどん食べられてしまっている。僕は何のために生きているのか、目的を見失ってしまっていると時々気が付く。
このままじゃ何もかも中途半端だ。

多分、35年間付き合ってきた自分の性質上、嫌な仕事を後回しにする、というスタイルはなかなか変えられないように思う。もちろんそこが変えられれば文句は無いが、もう何度も変えようと挑戦してきたし、そんなにコロっと変えられるならこんな日記は書かない。
それに、今僕を追いかけ回してやまないプリント作りは、時間をかけようと思えば1枚作るのにいくらも時間をかけることのできる仕事だ。僕もハマってしまう性質なので気が付けば6時間ぐらいそれをやってるということもある。しまいにはもっと書き込みを増やして下さい、なんていう無茶なことを言う生徒まで出てくる始末だ。つまり、先にプリントを作っておいて後でお楽しみを、ということがしにくい。そんなことはできたことがない。

だから、逃げ方を変えよう、と今日思った。もう先にやりたいこと全部やっちゃおう。そっちの方がよっぽど精神衛生上いい。プリントはそれからギリギリまで作ればいい。僕はプリントを作るために生きているわけではないし、プリント作りから逃げ回るために生きているわけでもない。
プリント作りはあくまで仕事の一つだ。僕は一日のうちにいくらもやらなきゃいかん仕事があるんだ。絵描いたり、話作ったり、ブログ書いたり。プリント作り以外はお金の発生しない仕事だけど…。でもそれだからといって、プリント作りばかりにかまけているわけにはいかない。金が儲かるからってあんまりエラそうなツラするんじゃねえ。金は大事だが、第一じゃない。

重要なのは魂の喜びだ。それが無ければ生きてても楽しくない。
だから僕は絵を描く、話を書く、ブログを書く。もっともっと書く。そうして魂の世話をしないと生徒に渡すプリントも無味乾燥なものになってしまうよ。
なんだか、ソクラテスみたいなこと言ってるな。

今日は割にいい一日になった。

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ブランキージェットシティ浅井健一の若き日を描いたが、人の肖像はやっぱり難しい。ちょっと位置関係がずれるだけで全然違う顔になる。ベンジーの雰囲気だけは少し出てるかな。



今日一日

今日一日を満足に過ごしたい。 とりあえずそこからだ。
いい加減なことをして消化不良で終わりたくない。
ここ数日はそれの繰り返しでゲロが出そうなほど自己嫌悪に陥った。
時間に追われている感じがすごくする。逆じゃないとダメだ。僕が時間を追いかけ回して捕まえないと。

今日一日が素晴らしい日となりますよう。

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浅井健一の『宇宙の匂い』表紙の写真がカッコよかったので描いた。今日は久々に本屋に行きたい。

今日は久々に夜が僕を抱きにきた
それで僕は嬉しくなって絵を描いた
夜の絵を
夜の愛する絵を
僕の憧れを

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ブランキージェットシティの浅井健一。小6からの、僕の憧れ。

僕はどこへ行こうとしているのか

ここではないどこかへ、そう常々思っていた。
もっと豊かで、自由で、楽しいところがあるはずだ。こんなところは抜け出して、切り離して、捨ててしまって、そこへ早く行きたいと、そればっかりを思ってきた。そして、僕にはいつかそれができると思っていた。
僕はもっとすごくなれる、素晴らしい人生に到達できる。


今日学校から学校へ移動する際、電車の中で嫁さんの作ってくれたおにぎりを食べながら、ふと、このままじゃいつまでたってもそこへは行けないんだと分かってしまった。確信したんだ。そんなことはあり得ないと。

もしかするといつかそこへ行けることもあるかもしれない。だけどそこは必ず今いる場所と地続きであるはずだ。今と全然関係のない場所へ、ポーンと空を飛ぶようにして行けるはずがない。それなのに僕は空を飛ぼうとしていた。
今を捨てて、無駄にして、犠牲にした先が理想郷だなんて、そんな馬鹿な。逃げ出したその先は夢想の墓場だろう。そこでもきっと同じことを思うさ。ここではないどこかへ、と。

そして、いつかそこへ行ける、なんて考えてる間は多分永久にそこへ行けない。
未来のために現在を消耗するという考え方自体が不健全で、非現実的なのだ。思い返してみれば僕がそういう考え方をしているとき、何かを成し得たことはない。どこにもたどり着いたことはない。
何かを成し得る時はいつだって今現在と必死に向き合っているときだけだ。いつかのことを考える余裕などどこにもない。そんな暇など。

未来のことばかり夢想して、ひどく集中を欠いている者に、一体何ができる。


未来のことなどどこかへ吹き飛ばしてしまって、今のことを考えようと思った。今をもっと満足に、充実させることを。立脚点を未来ではなく現在に置こう。僕はここで生きているんだ。


いつかそこへいける時は、きっと、もうすでにそこへ到着してしまっている時だけだ。

先生の資質

先日、正教諭の先生方と飲みの席に同席させていただく機会を得た。その中で、この夏休みに予備校の先生を招いて講習をして頂く、という話が管理職サイドで勝手に決まってしまってしていて、職員会議が大荒れに荒れたという話が出た。僕は非常勤講師なので職員会議には参加できない。その話は初めて聞いた。

近隣の高校でもそのようなスタイルを採る学校はあるらしく、やはり予備校の先生は大学受験のプロなので、講習を開くと生徒の成績があがる代わりに、学校の先生の授業を聞かなくなるらしい。中には生徒が授業を聞いてくれないので、全てを諦めて、その予備校の先生の授業の映像を流すだけ、なんていうミラクルな授業展開をされる先生もいらっしゃるという。その光景を想像するだけで少し寂しくなる。

うちの学校でもやはり生徒との信頼関係に関わるから、と予備校の先生を入れることには反対派の先生方が多く、勝手にそのことを決めた管理職のやり方に会議の席を立つ先生もいたそうな。
結局僕の勤務する学校は偏差値としては良くもなく、悪くもなく、といったところなので、進学意識もそれほど高くないのか、この予備校の先生の夏期講習への参加申し込みはほぼ無く、この話は立ち消えになって、管理職と教諭との間に妙な溝だけが残った。純粋に講習の値段が高かったということも影響しているのかもしれない。

今回の管理職のやり方は非常にまずかったとは思うが、予備校の先生を学校に入れること自体は、僕は構わないのではないかと思う。予備校はプロだ。結果が全ての世界で生きている人たちの意識は、学校の先生のそれとはかけ離れて大きく違うだろう。偏差値を上げたい生徒が、そのことにひたすら注力してきた予備校の先生の授業に夢中になるのは当然であろうし、それによって学力が上がるのなら誠に結構な話ではないか。学生にとってはメリットしかない。
それはその予備校及び予備校の先生方の努力の結果であって、そのことをつかまえて、「予備校の先生に分かりやすい授業をされると学校での授業がしにくくなるからやめていただきたい」というのは違うのではないか。僕にはそれは学校の先生の怠慢に映る。

高校生は馬鹿ではない。自らの価値基準をきちんと備えている。価値があると認めればその授業を聞くだろうし、価値がないと思えば聞かない。簡単なことだ。
学校の先生も価値のある授業をすればよいだけの話だ。別に偏差値を上げる授業をしなくともいいじゃないか。授業における価値の側面は他にいくらもあるだろうし、また価値ある授業ができるから「先生」と呼ばれるのだろう?

この話を居酒屋で聞いていて、僕自身は聞く一方で何ら発言をしなかったが、そういう時代に変わりつつあるのかな、と思った。公私を超えて価値のあるものが残る、そうでないものは淘汰される。
そもそも、先生になりたいから先生になる、ということ自体に僕は違和感を感じる。先生というのは他の誰にもできないことをやってのけてしまったがために、本人はそんなつもりもないのに、周りから慕われ、請われてやむを得ず先生になる、というのが本当の姿なんじゃないだろうか。そうではなく自主的に先生になるということは一体どういうことなんだろうか。周りの人より抜きんでたところもない、特別なことをしてきたわけでもない人間が、一体生徒に何を教えるのだろう。誰を導けるというのだろう。

教員免許を取得し、教員採用試験に合格したから先生になれるのか。それではまるでハリボテの先生じゃないか。そのハリボテだった先生が、ハリボテであることを隠す一方で、自らの先生としての価値を見つめなおそうとせず、本当に価値あるものを拒絶するのは、怠慢という以外に言葉が見つからない。そのような人間を先生と呼ぶことすらおかしさを感じる。それはただのダルな管理者だ。

そして僕自身まだまだハリボテのままなのだ。
生徒に認めてもらえるだけの価値のある授業をしたいと思う。そして「これだけは誰にも負けない」という懐刀を自分の中に持ちたいと思う。
一点において突破してしまった人間は、全面に展開できる力強さを持つ。先生とは無縁の、一番身近な人間から僕はそれを学んだ。そしてそれこそがまさに先生と呼ばれるにふさわしい資質なのだ。