ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

奈良雑感

奈良に引っ越して1ヶ月。思ったことをつらつらと書く。

まず、夜は静かで、暗い、ということを知った。
幼い頃には誰でも知っていたようなことを、大人になると忘れてしまう。僕は結婚してから大阪は天王寺に住み始めたが、天王寺はいつまでも明るく、にぎやかで、22時を過ぎると「立ちんぼ」が出始め、酩酊した女性が台車で運ばれ……と、あまり人が住むのに適してないように思う。

「ただいま」と言って家に帰る。しかし家に帰ったところで周りはピカピカしていてやかましい。奈良に住み始めて分かったが、天王寺に住んでいた時期、どうやら僕は外から「外」へ帰ってきていたらしい。常に明かりや人の気配が感じられるということはそれなりのストレスだったのだと改めて感じた。
今住んでいるところは恐ろしいぐらいに静かで、暗い。だが夜とは本来そのようなものだし、そのように感じられることがなんだか懐かしい。

次に未だかつてないぐらいにバスに乗るようになった。
つまり交通の便で言うとやはり不便になった。バスも我々が住んでいるところは1時間に1本とか2本とか。市街地からそう離れてはいないと思うのだが、それでもバスの本数が少なすぎると感じる。奈良の公共交通機関は当てにはならない。このため自動車を生まれて初めて買った。それについてはまた日記を書くかもしれないし、書かないかもしれない。

次に朝焼け、夕焼けが異常なほど美しい。
奈良は東西南北どこを見ても山がある。それは京都もそうだったが、周りに山があると奇妙に安心する。同じような盆地にかつて二つの都が作られたということは、何かこの地形が人間の情緒に及ぼす作用は今も昔も同じものがあったのではないかと思ってしまう。
日が落ちて山の輪郭を装飾する色が赤でもオレンジでもなく紫に変わる時、それが写真の加工によるものではないことを初めて知った。

次に京都ほどギラギラしていない、なんとなくほったらかされた忘却の都感がある。
それはもう奈良自体が「うちはこんな感じでやらしてもらってますんで」と言わんばかりで、よく言えば力が抜けていて、悪く言えば適当にやっているように見える。
特に適当に作られとるなあと思ってしまうのが道路だ。市街地であるにも関わらず意味が分からないぐらい信号が少ない。このため、今まで生きてきて見た「Uターンをかます車」の台数をわずか1日で更新するぐらいUターンをする車が多い。右折、左折と同じような感覚で「Uターン」が交通制度として確立されている。大阪は大体の交差点がUターン禁止だった。奈良は違う。そんな交通標識ありましっけ?と言わんばかりにどこにもU禁止の標識がない。そして道路は歩行者優先でなくお車様優先だ。このあたり、東南アジア的であると感じた。
車を買う際ディーラーからちらりと聞いたが、奈良は史跡の関係でうかつに新しい道路や建物を作れないらしい。迂闊に掘って史跡が出てくると工事がストップしてしまうからだ。
なるほどそれでこのほったらかされ感が保存されているのか。にしてももう少し信号は増やして欲しいが。

以上奈良に1ヶ月住んでみたところの感想だ。良い意味でひなびていて、達観したようなところのある街だと思った。老荘思想っていうかなんていうか、そんな感じ。