ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

何もしなくて良いという視座

何らするべきことはなくて、今与えられたことだけをやればよいと考えれば楽になる。僕で言えば非常勤講師の仕事をやっていればいいと考えれば随分楽だ。本当にはそうして与えられた場所で与えられた仕事をこなして、満足してずっと生きていける人が一番幸せなのだろうと思う。

だけどそうやって生きていける人は少ない。僕もそうやっては生きていけない。他に何かいる。でなければこのブログが存在する意味が分からない。非常勤だけやっていればいいのなら、働いて金を稼ぐことだけやっていればいいのなら、こんなブログは必要ない。

人間の業みたいなものはやっぱりあって、どうしても「それ」をしてしまうだとか、やめられないだとか、そんな風にして皆生きている。それは人によってはギャンブルだったり、酒だったり、音楽だったり、ゲームだったり、旅だったり、色々ある。

僕にもやっぱりあって、それは書くことだと分かっている。これを取り上げられるともう棒のようになって生きるしかなかろうと思う。

それは本来人に見せても見せなくてもどちらでもいいものだ。心の中に渦巻いているものを言葉にして吐き出しているのだから、むしろ見せない方がいいのだと思う。

それを僕は見せようとした。積極的に見てもらえるようにしたところで、別物になってしまった。

自らを発表するのに随分と便利な時代になって、有象無象のものがたくさん出てきて、皆「俺の才能はどうだ!」と、僕もその波に乗り遅れまいと頑張ってみたが、うまくいかなかった。

結局のところ何が苦しかったのか。無理をしているのに反応がイマイチだったり、認められなかったり、それはもちろん苦しいが、それより何より別段書きたくもないものを何かしらの幻想のために書いていると、自分で分かってしまうのが一番苦しかった。書いていてもつまらないんだな。そういうの続けてると何のために書いてるのか分かんなくなってくる。

何もしないのが本当は一番いいし、安らかだ。だけどどうしても「それ」をしてしまうと言うのなら、受け入れて粛々とやるのが良いと思った。

別に見せびらかすようなものでもない。「それ」はあくまでおまけで、自分が楽になるためのものなのだから。