ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

聖蹟桜ヶ丘へ

今年度の授業が全て終了した。最後の授業はテスト返却とその確認作業の後は特に何をしろとも言われていなかったので、『耳をすませば』の後半、お姉さんと雫が言い争いをする場面を生徒と皆で見た。

この場面。

あの場面、お姉さんは雫に「今しなきゃいけないことから逃げているのは雫でしょう?それが分からない?」と詰め寄るが、本当にしなきゃいけないことから逃げているのは誰なんだろうか?
「人がそうしているから」とか「親がそのように期待しているから」とか、ありとあらゆる言い訳を並べ立てて思考を停止し、自らがどう生きるべきかという一大問題から逃げ続けているのはむしろお姉さんの方ではないのか?
お姉さんの生き方では、ただ待って、何かが起こらないかと期待して問題を先延ばしにするだけでは、雫の求める「それ」は永久に与えられない。人生の一大事である「それ」は一人海に出て、探し求め続けるものにしか与えられない。

そんな話をした。

200回以上『耳をすませば』を見た者からすれば、あの場面のお姉さんの言葉は強烈な反語になっている。そしてその中に、自ら成し得なかったことを今目の前で成そうとしている者への賞賛、尊敬、嫉妬が含まれている。僕にはそのように感じられる。

生徒に『耳をすませば』を見せたことが尾を引いて、そのロケ地である聖蹟桜ヶ丘に行きたい気持ちになった。そうだ、何と言ったって僕らは今関東に住んでいるのだ。行って行けないことはない。武蔵野に住んでいる友人宅へも何度も行ってるのだから。

3月16日は快晴で暖かだった。その日に聖蹟桜ヶ丘に行くことを決めた僕はまず朝ごはんを食べた後、おもむろに『耳をすませば』をテレビで流し始めた。復習のためだ。
子らは見ているような見ていないような。でも「雫」という名前だけは認識しているようだった(長男は『耳をすませば』を総称して「雫」と呼ぶ)。
それから風呂に入り、体を清めた。聖地を巡礼するためだ。そして前日風呂に入らず寝てしまったためだ。

お昼は車中で、と考えていたのだが、家で何だかんだしているうちに子らは飯を求め始め、色々与えるうちにほぼ昼飯になってしまったのでもう子のお昼ご飯はそれで良いことにした。大人は朝近所のパン屋さんの惣菜パンをお腹いっぱい食べたので全然お腹が減っていなかった。昨年、今の家に引っ越して嫁さんが一番喜んだのが、嫁さんの舌を超絶Hitするパン屋が近くにあることだった。

出発は13時半ごろだったのではないかと思う。神奈川から北へ、多摩丘陵を目指す。

高速を使わなくても到着時刻は10分ほどしか変わらなかったので下道で行くことにした。長男がプラレールの歌を流して欲しいと言ったのでそれを流し、次にサカナクションの『モノクロトウキョー』をかけて欲しいと言ったのでそれを流し(実際には「トーキョー」と言ってくる)、そのあと何も言ってこなくなったので、嫁さんに頼んで近頃よく聞いているvaundyの歌をかけてもらった。

vaundy、今年の正月に初めて知って、すぐ飽きるかなと思ったけどなかなか飽きない。何回も何回も聞くに耐える、といういうのは良い。とても良い。歌詞や歌声から線の細い人かと思ったけど、そうでもないところも良い。藤井聡太君もそうだけど、若くして天から魅入られる人ってのは確かにいるんだなあ。長く活躍して欲しい。

小田急沿いを南から北へ。しかし、渋滞していて全然車が進まない。休憩のため途中2度コンビニへ寄り、最終的に聖蹟桜ヶ丘に着いたのは16時過ぎだった。1時間半の予定が倍かかった。高速使った方が良かったな。

その到着の仕方も想定とは違って、当初の予定では聖蹟桜ヶ丘駅に着いてから順次ロケ地を巡るはずだったのだが、気がついてみると耳をすませばの地球屋のある、あのロータリーにいきなり自分達がいた。うちの方角からだと、ロケ地を通って聖蹟桜ヶ丘駅に着く順序になるようだ。これまで3、4度聖地巡礼していたのでハッと気づけた次第である。気づいた時は「まさか!」と思って、狐につままれたみたいになった。何度来てもここは胸が高鳴る。

『耳をすませば』そのままの世界。

ロータリーでは「ここここ!雫の、地球屋の!」と子らに言ってみたが、全くピンと来ていないようだった。10回ほどしか耳をすませばを見ていない素人同然の状態ではしょうがあるまい。ロータリー見学そこそこに次に杉村が雫に思いがけず告白する神社に向かった。ロータリーから神社に向かう途中、坂を登り切って少し左に入ったところにある建物が、耳をすませばのラストシーンで出てくる建物に似ているので、嫁さんに言ってみたところ一発で「ほんまや」と分かってくれた。
その建物は耳をすませばの案内サイトとか聖蹟桜ヶ丘駅前にある耳をすませばのロケ地案内にも出てなかったように思う。ついに俺も見つけちまったか。写真撮っとけばよかった。

それにしてもすぐに勘づいてくれるあたり、さすが嫁さんである。嫁さんも耳をすませばの中毒具合では僕に引けを取らない。僕らが付き合うことになったきっかけも、初めて二人で映画を観に行った後(観た映画は『君の名は』)、梅田の、おっちゃんが一杯いる居酒屋でお互いの一番好きな映画の話になった時に、僕が逡巡しながらも『耳をすませば』と答えたことだった。答えた瞬間に嫁さんの顔色が変わった。共にコアな耳すまファンだったことが判明し、その後居酒屋では耳をすませばのセリフ合戦が繰り広げられたのである。もちろん実写版『耳をすませば』も子を嫁さんのご両親に預けて二人で見に行った。別物だったがあれはあれで良かった。

ロータリーから杉村の神社に移動し、二人の子を神社で遊ばせた。神社と子供ってなんでこんなにピッタリ来るんだろうか。兄妹は共に行ったり来たりして神社のカラカラをよく鳴らした。
その無邪気な子の横で、一通り杉村と雫の告白に至る一連の流れをセリフを言いながら一つ一つ確認する狂気的両親。告白の最後の場面、あそこで雫の腕を掴める男は極めて稀だと思う。杉村もど直球ストレートな男でめちゃくちゃいいと思うけどなあ。「待てよ月島ァ!!」て僕も言いたい。

無邪気な子の側で『耳をすませば』の台詞の確認をする両親(狂気)。

それから車で巡れる限りの耳すまスポットを回った。聖司君が雫に「お前詩の才能あるよ」と言ってさよならする薄暗がりの神社(ちなみにあの場面、雫の「今日は楽しかった、さよなら」に僕は初代ときめきメモリアルの藤崎詩織を感じてしまう)、給水塔のある雫の団地、図書館のあるいろは坂。やっぱり何か特別な感じがするのは僕が耳すまファンだから、というのもあるけど、聖蹟桜ヶ丘自体の雰囲気もとても良いのだと思う。

一通り聖地を回った後、我々は聖蹟桜ヶ丘駅に向かった。夜飯を考えるためだ。考えながら聖蹟桜ヶ丘駅を通過し、気がつくと多摩川沿いに出ていた。僕は車を停めて、スマホでファミレスを探し始めた。探し始めてすぐにびっくりドンキーが近くにあることがわかった。
そのまま向かっても良かったが、せっかく多摩川沿いまで出たので、ちょっと川沿いで息抜きすることにした。考えてみたら杉村の神社後、耳すま聖地巡りをしている間、子らは一歩も車外に出ていない。

多摩川に出た時はもう夕暮れ時で、春ちゃん(長男)は川沿いを京王線の鉄橋に向かって走り始めた。僕は最初RYOちゃん(次子)を抱っこしていたが、春ちゃんが走り始めたのを見てRYOちゃんを草っ原に解き放って嫁さんに任せ、春ちゃんを追いかけた。
走る春ちゃんの背中越しに鉄橋を渡る京王線が小さく見えた。帰ってからその京王線の鉄橋も映画の一部であると気づいた(映画の一等最初、カントリーロードが流れ始める場面に多摩川を渡る京王線)。

走る春ちゃんのバックに鉄橋を渡る京王線、そして多摩川。

春ちゃんを捕まえて元いた場所に戻ってみると、RYOちゃんと嫁さんは見ず知らずの親子と一緒に遊んでいた。その子は多分春ちゃんより少し幼いぐらいの女の子で、見るからにイヤイヤ期真っ盛りだった。それは帰ろうとしない態度から見てとれた。イヤイヤ期の子は、こちらがお菓子をあげようが家でパウパト見ようと言おうが、何をしようが言おうが帰らないと行ったら帰らない。春ちゃんは最近になってその気が抜けてきたが、全盛期はひどかった。春ちゃんから「お外」と言われるのを恐怖に感じたほどだ。あまりに辛すぎたのか、僕も嫁さんも、家に帰りたがらず、鮮魚みたいになっている春ちゃんをどのようにして毎回連れて帰っていたのか、とんと記憶がない。

今目の前にいる女の子もまさにその様子で、お母さんの「帰ろう」の言葉に一切耳を傾けない。そして特に楽しいわけでもないだろうに我々の後をついてくる。このような状況の時、間違いなく相手方は我々に早くどこかに行ってくれと乞い願っている。だってつい最近まで僕たちが乞い願う側だったのだもの。こちら側から主導して状況を転回させることができない以上、相手方の行動に望みをかけるしかないのだ。無理矢理連れて帰ろうとすれば子は鮮魚と化し、親の心は焦土と化す。

察した我々は早々にその場を退散し、それでもまだその子はついてくるのでさっさと家族で車に乗り込んだ。そこでその子も諦めたのかどうか。それは分からない。もしかするとその後もまだ帰る、帰らないで一悶着あったのやもしれぬ。
ともあれ僕は車に乗り込むとびっくりドンキーの予約をスマホで済ませ、早々に車を走らせ始めた。

聖蹟桜ヶ丘のびっくりドンキーは1階が駐車場になっていて、2階が店舗になっているスタイルだった。店内に入ると3〜4組の待ちが出ていた。僕は携帯から18時15分の予約を取っており、店内には18時10分ごろ着いたので、まあ時間が来れば呼ばれるだろうと鷹揚に構えていたのだが、どうもホールを回している男の子が新人のようで明らかに慣れていない。どことなくキョロキョロ、おどおどしており、何かを熱心に確認している。その新人ホール君が一組のお客さんを席に案内した後、待合に戻ってきて「携帯から予約のお客様はいらっしゃいますか」と言ったので僕は手を挙げ、予約番号を伝えた。するとまだ18時15分になっていないのに席に案内された。先に待っている人がいるのに大丈夫なのか…?とこの時一抹の不安がよぎった。

店は入り口を入って左側のゾーンと右側のゾーンに大きく別れており、我々は左側ゾーンに案内された。席はほぼ満席だった。
びっくりドンキーと言えば何のためかよくわからないほど大きく作られた木製のメニュー表が代名詞だが、その店舗にはもう木製のメニュー表はなく、タッチパネルでの注文に切り替わっていた。

そのタッチパネルから大人用のハンバーグセットを2つと子供のためのうどんとポテトとビールとノンアルビール、そしてジュースを注文したように思う。その後で今日はなんだかんだいい旅になったなあ、みたいな話をしているとドリンクとポテトが運ばれてきた。それからそんなに時間が経たない内に今度はうどんが運ばれてきた。別にそんなに待ったわけでも無いのに店員さんは「お待たせして申し訳ありませんでした」と平謝りの様子だった。

席についたのが18時13分ごろ、注文を終えたのは18時20分頃、先に述べたうどんが運ばれてきたのが恐らく18時30分の少し前だった。

それから我々のテーブルには何も運ばれて来なくなった。

18時45分頃、さすがにちょっと遅いなと思いつつ、春ちゃんがトイレに行きたいと言ったので一緒にトイレに立った。その時に改めて周りの席のテーブルを見て愕然とした。満席であるどのテーブルにもハンバーグが置かれていない。ハンバーグ屋なのに!
どのテーブルにも置かれてあるのはポテト、サラダ、ポテト!!

席に戻り嫁さんにその事実を伝えた。トイレに立つ前に嫁さんと「もしかしてポテトで時間稼いでない?」などと冗談交じりに言い合っていたのだが、まさにその通りのことが起こっているではないか。
考えられる可能性は二つ。

①焼き場のバイトが突然飛んだ。
②焼き場の鉄板が故障した。

②であれば店を閉めるだろうから(それでも強行手段を取って開店しているかもしれないが…)可能性としては①の方が優勢か。そんなことを嫁さんと話している間に、周りの席も気づき始めた。ハンバーグ屋なのにハンバーグが来ない事実に!
大阪なら怒号が飛び交っているところだが、関東の人は皆我慢強い。
このような時僕は考えてしまう。店員を呼んで事情を聞いた方がいいのか、そんなことをしては余計料理が来るまでに時間がかかるからじっと待った方が良いのか。この場はとりあえず様子を見ることにした。

この時点で斜め後ろのご家族の子供達は頼みの綱のポテトを消費してしまい、ハンバーグを求め始めていた。もうもたないと判断したご両親は店員を呼び、いつになったらハンバーグが来るのか、問題の核心をたずねた。来たのはバイトの子で、確認してきますと言って一度厨房に入って戻って来ると「あと10分ほどで…」と答えたように聞こえた。ご両親が子供達に「ほら7時10分になったらお肉来るよ」と言っていたことからも間違いはない。つまり、この時点で19時になっており、我々が注文を終えてから40分が経過しており、そして我々のテーブルにまだハンバーグは運ばれてなかった。

その斜め後ろのご家族は我々より後にテーブルについたのでハンバーグが運ばれるのも我々より後だろう。
この段階で僕と嫁さんにある疑念が生じ始めた。
「もしかして、ハンバーグはもう運ばれて来ないのでは?」
ハンバーグが運ばれてこない事実を何とか歪曲しようと頑張ってみたが、どうしようもない。もはや刀折れ、矢尽きた。そんな話が厨房で、キッチンスタッフとホールスタッフの間で話されているのではないか。
だって我々含め周りの誰一人ハンバーグ食べてないんだもの。
判断があまりに遅かったのかもしれぬ。せめてディナーが始まる前のタイミングで撤退を決めていれば、こんなに多くの犠牲者が出ることなかったのに…。

そんなことを考えていると我々の隣の席にハンバーグが運ばれてきた。この時僕はハンバーグ屋でハンバーグがお客のもとにちゃんと運ばれてくる、その当たり前のことに「すごい…」と感動してしまった。状況はカオスを呈していた。

その後しばらくして我々のもとにもハンバーグが無事運ばれてきた。19時20分頃だった。注文から1時間が経過していた。
斜め後ろのご家族の手前なんだか申し訳ないような気持ちでハンバーグを口にした。
そのハンバーグはいつものびっくりドンキーのハンバーグではなく、グニグニと随分固かった。もしかすると本当に鉄板が壊れてフライパンで一つ一つ焼いているのやもしれぬ。

斜め後ろの家族にその後ハンバーグが来たのか来なかったのか、我々が退店する時にまだ着席していたことは確かで、きっとある程度待ってしまった以上引くに引けぬ状態になってしまったに違いなかった。子供はもう待つことに疲れているようだった。
お客さんの一組は店舗の責任者を呼びつけ随分と厳しい言葉をぶつけていた。こんな阿鼻叫喚の図を作り出してしまった以上それも仕方のないことだと思った。指揮官の判断一つで多くの兵が死ぬ。

我々もハンバーグを1時間待ったのは初めてで、でも怒りを感じるよりむしろその状況を面白がってしまっていた。本当には一体何があったのだろうか。謎は謎のまま、ハンバーグを食べ終わり席を立つと待合にはそれほど人は待っていなかった。
もしかすると店員から説明があり、ハンバーグの提供に難のあることが伝わったのかもしれないと思った。
思ったがしかし、1階に降りてみると駐車場は車の中で順番を待つ人で溢れかえっていた。彼ら、彼女らはまだ知るまい。

席に着いてからの方が待ち時間は長いことを。


家族で『耳をすませば』のロケ地聖蹟桜ヶ丘をめぐり、美しい思い出で締めくくられるはずのこの日記は、最後に登場したびっくりドンキー(ほんまにびっくりやで)のせいで、何が何だかよく分からない、7000字超のクソ長日記になってしまった。

この先まだ我々が関東に住んでいたなら、きっとまた聖蹟桜ヶ丘に来るだろう(びっくりドンキーには行かないかもしれないが)。これからも『耳をすませば』を我々は年に数回は見ることになるのだから。

僕こそはあの映画に最も大きく人生を動かされた人間の一人だ。
子供達が成長して人生の岐路に立つことになった時、僕と嫁さんの愛した『耳をすませば』のことを思い出して欲しいと思う。
そして願わくば、雫のお父さんの言う「独りぼっちの道(映画の中では「何が起きても誰も助けてくれない」と表現)」を進んで欲しいと思う。
雫がそうしたように。僕がそう憧れたように。

誰の期待を裏切ることになったとしても、独りぼっちになったとしても、己の生き方を見つけてしまった者は、そこから目を背けることはできない。

誰も踏んだことのない道は、どこまでも孤独で、どこまでも自由だ。