ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

嫁さんとの深夜に及ぶ話し合い

タイトル通りのことが先日あって、深夜3時過ぎまで話し合った。

議題はお金のことと、それに関連して僕のやりたいことについて。話し合いの中で僕は大きな勘違いをしていることに気がついた。

非常勤ではあるが教員という仕事につき、結婚し、子を授かり、それで僕は前に進んでいると思っていた。だけど、結局それら諸々のことを言い訳に僕は前を見ないように、自らの人生と向き合うことを避けていただけなのかもしれない。

僕にとって書くことは非常に大きなウェイトを占めることで、それで身を立てたいと思っていた時期もあった。結局、幾度か児童文学賞に挑戦して、ダメで、そうしているうちに漫画を書き始めて、書いてるだけで己は満足なのだと、そう思い込むようになった。

嫁さんとの話し合いの焦点はまさにそこだった。
僕にとって書くことはどういうことなのか。今のように高校の非常勤講師をやって、書くことは趣味、という扱いでいいのか。もしそうなら非常勤ではあまりに割に合わない。月曜日から金曜日まであれだけ一生懸命に働いて年収150万程度(実際には少し足りない)では、不安であるし、何よりもったいない。

また、書くことをお金にしたいと思うなら、今の姿勢ではダメで、つまり時々賞に応募して結果を待つという姿勢では全然足りてなくて、書くことに真摯に向き合って、自らもっとアクションを起こしていかないと到底そこには辿り着けない。

そう嫁さんから言ってもらって、自分は何とまあ中途半端なことをして満足していたのかと、ハッとした。

本当には僕はどうしたかったのか。
少しの間考えて、書くことは生涯やめられないとボソッと嫁さんに言った時に、僕は本当は書くことに集中したくて、何とかしてでもそれで生計を立てていきたいのだと、心の奥底でずっとそう思い続けてきたのだと改めて気が付いた。

教員も、書くことも、それで生きていこうとするなら、どちらも片手間でできることではない。それを僕はできると思い込んでいた。
だが、実際にやっていたのはどっちつかずで中途半端で、それでいて何とかなるはずだ、書いていればいつか誰かが拾ってくれるはずだというあまりに都合の良い祈りを続けることのみであった。
そうしてただ忙しそうに毎年毎年同じところをグルグル回り続けていただけだった。

そんな僕を見ているのが、嫁さんにはたまらなく歯がゆかったのだと思う。

本当は書いて生きていきたかったのに、そんなヤクザなことをしてしまって良いのかとか、自分は書くことに耐えられるんだろうかとか、いつか書けなくなってしまうんじゃないかとか、いざそうなってしまったら全然楽しくないんじゃないかとか、そんなことばかり考えて前に進めなかった。つまりはビビって目ふさいでたんだな。

だけどそう生まれてしまったのだから、それはもう仕方ないじゃないか。他の道が停滞で、つまらなそうに見えるのなら、書く以外に前に進む道が見えないのなら、それがどんないばらの道に見えてもやっぱりそこ行くしかない。

書いて、それでもって稼ぐ。生きていく。そう考えた時、心が少しワクワクする。そうやって思い切り生きてみたいと思う。

話し合いのあとで嫁さんは僕の書くものが面白いと言ってくれた。僕に書いて欲しいものがたくさんあるのだとも。
嫁さんの言う「もったいない」は僕の勝手な解釈では「あんたは高校の非常勤なんてやってるタマじゃねえ」と聞こえた。そして嫁さんは言うのだ。「教員にはいつでも戻れる」と。

書きましょう。いくらも書きましょう。あなたの喜んでくれるものをいくらでも。力の限り書いて、全力で生きていきましょう。