ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

生活がすべて

生活の中に溶け込んでしまっているものにかなうものは無い。

歯磨きや掃除や皿洗いや、普段何気なくやっていることが知らずのうちに己を作っている。
ちょうどどこかで羽ばたいた蝶の作り出した風が、また別のどこかで嵐になるように。

何かをやろう、このように生きていこう、などという意志は生活の前には全く無力だ。いつも最終的には生活に蹂躙され、元通りとなる。

英語圏で生活する人は自然、英語をしゃべるようになる。スペイン語ならスペイン語を、生活感が中央アジアなら多言語を。生活の様式に沿って人は形作られる。
己はこのような人間だと自己規定したところでどうしようもない。生活だけが人を作る。

生活を飛び越えて、ということはあり得ない。あったとしても一過性のものだ。やはり生活に蹂躙されざるを得ない。

普段の生活を大切にしたいと思う。皿洗いや歯磨きや料理や子どものオムツ替えをていねいにやりたいと思う。それが今の自分をかたどっている。生活のことに比べれば、美しい文章を書けたり、面白い漫画を描けたり、あるいは火を起こせたり、そんなのはなんでもない。そういったことが生活に先行することはない。

強いて、そういったことが生活の中に溶け込むことがあれば、それはそれで良いと思う。
そういったことが生活に溶け込み、無理なく、自然になされるようになった時、人は変わるのだろうと思う。

生活の中に無いものが人を作ることはない。まして人を変えるなど。