ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

友人より励ましを受ける

このブログを始めてもう5年になる。結婚して1年経った頃にこのブログを始めたので(それまでもmixiで細々やっていたが)、結婚生活と同じようにこのブログは育まれてきた。

最初、嫁さん以外の誰にもこのブログの存在を教えなかったし、教えるつもりもなかった。その方が自由に書けると思ったからだ。

虚しくなったのか、感想を求めたくなったのか、あるいはシンプルに見知った人に読んでもらいたかったのか、いつの頃からかごく親しい友人にだけこのブログの存在を教えるようになった。それでもこのブログの存在を知っている知人は多分、今でも10人に満たない。

その中で、このブログの存在を知ってからずいぶん熱心に読んでくれている知人(Tさんとする)がいる。いや、知人夫妻がいる、と言った方が正しい。いつの間にかTさんは奥さん(Aちゃんとする)にまでこのブログの存在を教え、そのAちゃんも僕のブログを気に入ってくれたようで、いつの日か僕の呼称が「先生」になった時に、それは学校の先生という意味でなく(僕は普段高校の先生をしている)、また物書きのマネごとをしていると茶化しているのでもなく、本当に僕の文章を面白がって敬意を込めてそのように呼んでくれていることを知った時に、言わばTさん夫妻が僕のブログのファンであることを知った。

世の中には変わった人がいる。僕は僕の文章が特別に良いとは思わない。時々良い文章が書けたな、と思うことはあるが、それだってただの自己満足で、起こったことや感じたことをただ文にしているだけで、特別なことは何もしていない。誰にでもできることだとずっと思っていた。今でもそう思っている。たくさんの書き手がいる中で僕の文章を気に入ってくれているのは、それはよほど物好きか、見知った仲だからある程度気を遣ってくれているのだろうなと、そのように捉えていた。


大阪を離れる前に、Tさん宅で壮行会を開いてもらった。2月の末のことだった。スラムダンクの映画の話をサカナに大いに会は盛り上がった。僕はいつもTさん夫妻と飲む時はつい飲みすぎて途中寝てしまうのだが、今回はTさんが酒と酒の合間にコーヒーを挟むというウルトラC級の荒技を繰り広げてくれたおかげで、眠ることなく始終会を楽しむことができた。

どのタイミングだったか、コーヒー前であったかコーヒー後であったか、多分コーヒー後だったと思うが僕のブログの話になった。僕の漫画も良いが文章は頭ひとつ抜けているとTさんからそのように言っていただいて、もちろん大変嬉しかったのだが、それでもやっぱり知人だからそのように言ってもらえるのだろうな…という気持ちは多少なりともあった。
ところが、そのあとでAちゃんから、酔いが覚めるほどビックリすることを言われた。親をはじめ家族にもあなたのブログを紹介し、読んでもらっているというのだ。

ジーザス!!ちょっと待て。家族?家族に僕の文章読ませてるの?それヤバくない?

先に申し上げた通り僕は僕の文章がなんの変哲もない平易な文章だと思っている。そのようにつまらないものをAちゃんの、高貴なるご血縁の方々に読んで頂くなど、畏れ多すぎて、恥ずかしくてどうしようもない。穴を掘ってでも隠れたい気持ちになった。

さぞかしご家族の方も迷惑して「娘がこない言うてるし、しゃーなし読むだけ読んだいたろか」的な、生徒からよくわからない推しを押し付けられた時のあの微妙な嫌悪感のようなものを抱きつつ僕の文章を読んだに違いないと、申し訳ない気持ちでいっぱいになっているところへ「ほら先生見て」とAちゃんが僕にスマホの画面を見せてきた。ご家族とのLINEのトーク画面だった。

そこには僕の文章に対する惜しみない賛辞が綴られてあった。

スクショを送ってもらった。時々見返して勇気をもらっている。

心が震えた。Aちゃんは本当にご家族に僕のブログを紹介していたのだ(それも社交辞令かな、と少し思っていた)。そんなことは僕のブログが真実面白いと思っていないとできない。社交辞令、あるいはその人に気を遣って、人間はそのような動機から自らの家族に何かを薦めたりはしない。まして文章などという己の趣味嗜好がモロに出てしまうものを。そして文面からご家族の方々も実際に僕の文章を読み、腹の底から面白がってくれていることがわかった。

「前々からテメェの文章はめちゃめちゃ良いって言ってんだろおがよぉー!!」てのをど直球ストレートでぶつけてもらった気がして、はてなブログで賞をもらった時の何倍も嬉しかった。現実に生きている人間の、おためごかし無しの声はこんなにありがたいものなのだと思い知った。

Tさんからは「賞をもらってるのが何よりの証。なのに何故そんなに自分の文章に自信ないんかわからん」と言われたが、これは今でも自信がない。というより自分の文章の何が良いのかよくわからない。誰でもできることだと思うが…、と返すとTさんは「そうじゃない。誰でもできないことを君はやっている」と千日手のような問答になってしまった。そうなのだろうか。

ともあれ、気遣いやおためごかしのためではなく、本当に僕の文章を好いてくれている人がいる、楽しみにしてくれている人がいると分かって、書いていてもいいんだなと、少しそう思えるようになった。

神奈川へ行っても書こうと思う。生きている限り描き続けようと思うよ。






↓Aちゃんのご家族の皆さんに喜んで頂いた文章とはてなブログで賞をもらった文章です。よければ。
yoakenoandon.hatenablog.com
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