ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

慣性の法則

僕の好きな言葉に「毎日はかけ算、日を空ければ足し算」というものがある。故・吉本隆明氏の言葉だ。

これには毎日コツコツ続ければという「チリも積もれば」的意味合いもあるし、もう一つ言えば自分に向いている、あるいは好きなものじゃないと毎日続けることはできないという「好きこそものの上手なれ」的意味合いもある。

これだけ読むと文脈がわからないが、「10年毎日続ければ何でもそれでとりあえずメシが食えるだけのものになる」という吉本氏の話の中からこのかけ算足し算の言葉が出てきた。短期間の話をしているのではない。10年スパンの話をしている。そして好きなものでなければ10年毎日続けることは「絶対に」できないのは、僕が身をもって経験してきた。好きなものでも10年毎日続けるのはあまりに難しい。10年続けられるものは自らにおいて本物だということだろう。時間は嘘をつかない。

合わせて最近この言葉について新たに気がついた。「毎日」には慣性が働く。断続になれば慣性が失われる。毎日を続けていると望むと望まざるとに関わらず己を進ませようとする力が勝手に発生してしまうということだ。それはどんなにささいな、つまらないことであっても。この慣性がかけ算の正体ではないか。動摩擦係数・静止摩擦係数と言い換えてもいい。動き続けていればそれがどんな大きな仕事量であっても続けているうち次第に動いていること自体に気が付かなくなるし、さほどしんどいとも思わなくなるが、一旦止まってしまうと、もう一度動き出すためには莫大な力が必要になってしまう。毎日行ってた学校をサボり出し、改めて学校に行かねばならない時のあの抵抗感(絶望感)にそれは似ている。

地球も毎日ぐるぐる回っているけど、そのエネルギーの大部分は慣性によるもので、一回止まっちゃうと動き出そうにも必要なエネルギーが多すぎてもう回れねんじゃねえか。いかな人間様でも止まった地球を再び回すことはできまい。それもあの学校に行きたくない感じにきっと似ている。

そして、そうは言ってもやっぱり毎日は続けられなくて止まってしまう時が必ず来るというのも僕の実感だ。成長が感じられなくなったり、面白くなくなったり、意味を見失ってしまったり、そもそも時間が取れなくなってしまったり、まるで試練のようにその時は訪れる。その時にどうするのか。やめちゃうのか、とんでもない力が必要だけどもう一度歩み出すのか。

「毎日やろうとしたけどやっぱりダメで、好きだからまたやり始めて、だけどまたどこかで挫折して、それでも自分の理想を諦めきれないで再び立ち上がって、そんなことを繰り返しているうち10年以上も経ってしまいました。」
そんな人こそ本物だと、僕の好きな吉本隆明氏の言葉には、きっとそこまでの含みが隠されていると、勝手な解釈をしまくって改めて今この言葉をかみしめている。

うちのじいちゃんに似てんだよなぁ。