ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

2021年無人島が終わった

今年はコロナのせいで、特につい先日出されたまん防のせいで無人島は途中で打ち切りになり、挙げ句打ち上げもまん防のせいでどこの店も終日酒が提供されず、つまりは打ち上がれず、夏が終わったのか終わってないのか、よくわからないまま家に帰ることになった。

おかげで無人島にいた感覚をそのまま日常に持ち込んでしまっている。そこからはウソをついている自分がよく見える。


移動手段やインターネットやスマホや、時間の効率化が我々の生活速度を加速させ続けている。無駄という無駄が省かれ、人間も効率的に生きることが求められている。

無人島は加速する時間の谷間になっていて、そこに落ち込むと時間を腐るほど手にすることになる。その谷間では特にやるべきこともないのだ。
それで、ただ火を見たり、海を見たりする。効率もヘチマもない。

その谷間から上を見上げると水族館のイワシのような人の群れが、追いつ追われつ、時間と人の波に乗り遅れないようがむしゃらに泳いでいるのが見える。己もその中にいる。節操がなく、忙しなく動き回っている。

ただただ無駄だな、と僕は思う。いたずらに動き回ることは本当の自分を離れることだ。本当の自分はここにいる。この谷間にいる。
止まらなければ本当の自分が分からないのに、加速する時間の波に乗せられて止まることができない。思考は停止して、ただ疲れるばかりだ。

あっちの世界に戻ればまた同じようになってしまうだろう。時間と人の群れにさらされて、自分が分からなくなってしまうだろう。僕はそれが嫌だ。
この感覚を失いたくない。本当の自分と離れたくない。

それで、あっちの世界に戻っても1日1時間、いや30分でいいから何もしない時間を作ろうと思った。自由な時間ということではなしに、本当に何もしない時間。眠るわけでもなく、本を読むわけでも映画を見るわけでもなく、スマホ見るわけでもなく、絵を描いたり趣味を楽しむわけでもなく、当然仕事をするわけでもない、つまりはボーっとするだけの全く生産性の無い時間が欲しい。

かつて読んだ人類学の本で、南米の調査に出かけた人類学者が現地部族の人間をポーターとして数名雇い、ジャングルの奥地まで急ぎ足で進む話を読んだ。
順調に旅は進んでいたが、突然ポーターが進むのをやめ、円座を組んで動かなくなってしまった。おどしてもすかしても、何をしてもテコでも動かない。なぜ動かないのかと人類学者がたずねたところ「急ぎすぎて自分の心を置き去りにしてしまったから」と答えたという。心が戻ってくるのを待っているのだと。

無駄な時間が削除された世界は、人間が機械化された世界とも言える。心がなく、思考がない。
正直な自らに戻るためには、まるで意味がないと思える時間が必要だ。何かしている時間ではなく、何もしていない時間が重要だ。朝に夕にボーッと川でも眺めることにしよう。

毎年無人島に行って得られるこの感覚は、人間としてバグっているのか、はたまた正常に戻っているのか。
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