ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

徳川家康公遺訓

NHK大河ドラマ『青天を衝け』を見ている。近年稀に見る大河ドラマの出来だと思うのは僕だけだろうか?大変面白い。

数回前の放送で渋沢栄一(吉沢亮)と徳川慶喜(草彅剛)が徳川家康の遺訓を暗誦し合う素晴らしい場面があった。
家康の遺訓を僕は知っていると思っていたが、どうやら知っていたのは最初の一文だけだったらしい。

すなわち
「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
の一文だ。
それだけを知って、ずいぶん説教めいたことを言うなあ、と思っていたが、その一文に続く遺訓を『青天を衝け』で初めて聞いて、家康はとんでもなく素晴らしいことを言ってるじゃないかとびっくり仰天した次第である。

以下、家康遺訓の全文。

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。心に望み起こらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基(もとい)。怒りは敵と思え。
勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身にいたる。
己を責めて人を責むるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。


素晴らしい。手放しで生徒に紹介したい文章だ。

最初の一文から僕は読み違えていた。というのもその後をまるで知らなかったから。直後「急ぐべからず」とつくだけで文の印象はまるで違ってしまう。

最初の一文だけだと「人生ってのはつらいものなんだ、わかるね?」と強引な先生に諭されている気分になるが、直後につく「急ぐべからず」が印象を180度変えて、「焦ってもしょーがないんやから、酒でも飲みながらボチボチいきましょや」と一升瓶を持って僕を歓待する家康を見え隠れさせる。

そうだ。人生は長い。10代で成功を手にしたところであと60年、70年人生は続くのだ。下手するとじじいになる前に人生に飽きちまう。生きる意味がわからなくなってしまう。焦るとかえって自分を見失うぜ。
だからゆっくりでいい。ゆっくりやって60代ぐらいでいい感じになれたらそれが一番いいんでないの?
僕の解釈ではこうなる。

「堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。」というのもいい。
「怒り」を僕は心が突っ張ってしまうことだと感じているが、心が突っ張るとロクなことがない。怒りを感じると相手を拒絶する、あるいは相手をねじ伏せるような言動を取ってしまうが、これは物事の解決を断念するのと同じ行為だ。
そうは言っても人間だから心が突っ張ることはあるが、柔らかく柔らかく、どうしてもダメなら負けていいじゃないか。その方がよほど立派だと思える。
勝った勝ったと騒いでる者の方が実は負けているという状況は実際よくある。

「勝つことばかり知りて…」の段はそのまま過ぎて何も言うことがない。僕が常日頃から生徒に繰り返し言っていることだ。
勝つことは別の側面では負けることであり、毒を溜めることだ。勝ち過ぎたためにおかしくなった者は歴史上に山ほどいるし、現在のスポーツ選手や芸能人の中にも山ほどいる。
逆に言うと負けることこそ貴重だと言える。どれだけ一生懸命やっても届かない人や物事がある。それを知れば謙虚になれる。己を知ることができる。
増幅した精神(虚栄心)を持たない人間は正直でとても素敵だ。僕には幼い息子がいるが、負け続けていいと思っている。

ラスト「及ばざるは過ぎたるよりまされり。」
しびれる。しびれまくる。家康いいよ、君はいい。
人に勝つこと、人に秀でることの危険性をよくよく知っている者の言葉だ。直訳すると、足りない方がやり過ぎや多すぎよりも勝っている、ということになる。

僕はこの言葉を聞いて二人の人間をイメージする。
一人はボーッとして、何もしゃべらず、誰にも迷惑をかけず、ただじっとしているデクの棒みたいな人。
もう一人は才気溢れて、やたらにその能力をひけらかし、また舌鋒鋭く、口論では何があっても負けず、相手を打ちのめしてしまう人。

この二人は一体どちらがまさっているのだろうか?

世間でもてはやされるのは後者だろう。
だが、人間としてまさっているのは前者だと家康は言っているように思える。
やたらに鋭すぎる刀はいたずらに人を傷つけ、しかもすぐにダメになってしまう。
小林秀雄の「刀というのは鈍な方が実はよく切れる」という言葉も同じだと僕は捉える。
そして僕も前者の方が好きだ。それは宮沢賢治の目指した像でもある。

以上、家康公遺訓の勝手な解釈でした。
どの文もいいけどやっぱり一番最初の文が、夏の暑い日に額の汗を拭いながらゆっくり歩いていく家康を僕に想起させて、とても好きだ。
早くオリンピック終わって『青天を衝け』再開して欲しい。