ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

垂れ流し日記

現在時刻は午前11時27分。5月24日金曜日、テスト作成のため学校に向かっている。

恐らく来週の月曜日までに日記を書く時間は今を除いてもうない。

最近、わけの分からないスピード感を持って日常が過ぎ去っていく。速い、あまりにも速い。
そんなに忙しいわけがないのに何故だ。

昨日なぞは朝学校行って、電車の中でブログ更新して、昼間っから友人宅で酒をがぶ飲みして家帰って寝て夜起きて嫁さんの作ってくれたソーメン食って任天堂switchやって深夜までテストを作っていた。わけの分からん一日だ。今朝も早くに起きてからテストの解答用紙を作って、そして今に至る。

やりたいこととやらなければいけないことが溢れている感じがして整理整頓できない。

そして何故、昨日結構気合いを入れて描いたジョジョの描き方に何一つ反応が無いのかも自分の中で整理がつかない。「これでワイのブログもバズりまくりや!」とか思ってた昨日の自分が恥ずかしい。大抵気合い入れたモノの方が「スッ」と流されてしまう気がする。授業でもそういう場面は多い。用意しすぎるとうるさく感じられるのだろうか。
いい感じに書けたと思ったんだけどなぁ。

今日はテストを作ったら先日のテストの丸付けをして、それから兄の家に行く。明日早朝に共に無人島に出発し1泊して日曜の夜に帰る。それから再びテストの丸付け地獄。

定期テストなどというものは吹っ飛んでくれないだろうか。成績をつけるための授業、成績をつけるためのテスト。テストが終われば、大学に受かれば全てを忘れるのだろう。先生も生徒も同じだ。入学した瞬間から先生も生徒も卒業して別れてしまうことを何より待ち望んでいる、とはルソーの言葉だ。200年前から何も変わんねえな。
僕が高校生なら学校になど来ない。実技は別としてただ知識を手に入れたいだけならこんなところに来る必要もない。学校の先生には厳しい時代になった。スマホが時代を加速させている。


中沢新一はさらに加速して突き抜けてしまうか、クラックのような時間の狭間に入り込むしかない、と言った。どうにも僕は変なことばかり覚えている。でも確かに、このまま時間の波に流され続けるのは非常に危険だ。

無駄なことを無駄と分かっていながらやり続けることほど無駄なことはない。だが、立ち止まって無駄かどうかを考えるには人間の時間は奪われすぎている。
無駄を無駄と感じないのは教師の資質の一つであるし、無駄を生徒に押し付けるのは教師の仕事の一つだ。何も考えさせないために、穴を掘らせその穴を埋めさせるのか。
永遠に、そのルーティンから外れないように。
終わることのないルーティンの中で時間だけが加速している。

生徒の、うら若き友人の成長を願うなら最善は何も言わないことだし何も教えないことではないのか。どの動物も当たり前のようにやっていることを人間はやっていない。

僕は一体余計なことを考えているのだろうか。僕には皆がどこまで本気でどこまで嘘なのか分からない。いっそ皆わかってやっているならそっちの方がよっぽど安心する。

今はただ色々なものを書きたい。文章も物語も漫画も、たくさん書きたい。書きたいものはいくらもあるのだろう?

スピード感が同じである限り現状を変えることはできないんだ。
捨てて勝つ、うちの親父はよくそう言った。


加速して突き抜けるかクラックに入り込むか。


真っ昼間に書いたのに、なんだか夜みたいな文章になった。