ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

雨の日に思うこと

一日に進む距離はほんのわずかで、一つのことを成すのにはあまりに多くの時間がかかる。そうして長い時間をかけてみても、最後に結局これだけしか進めなかったのかと思うのだろう。

だけど皆そうしてきたのだ。空を飛んだ人間はいない。様々のものがあまりに便利になって、まるでレベル99からゲームを始められるような、そんな気になるけども、人間の歩みはいつでも0からで、歩む速度も変わらない。便利になったからといってそれは今までa→b→cだったものがd→e→fに変更されただけで0→1→2から3→4→5へと進化したわけではない。まして99や1000や1億から人間がその一生を始められるわけではない。人の歩みは遅々として進まない。0から3までいくのか5までいくのかわからないが、新たな人間はまた0からだ。そうして3か5まで行き、振り返ってみてこれだけかと思うのだろう。その繰り返しだ。

学びもまたそのようであろうと思う。長い間を生きて学べることはほんのわずかでしかない。学問の進化とはa→b→cがd→e→fになることか、それとも0→1→2が3→4→5になることか。
アルファベットに大小はない。優劣もない。aはzまで変遷して再びaに戻るだけだ。


地べたをはって、遅々として生きるしかない。
そんなことを最近よく思う。