ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

試み(11月24日)

個人の実生活が小説になるのかしらんと思ってこのようなものを記す。都合良く学校の僕の机には誰も使っていない学校所有のパソコンが入っていて(この学校に勤め始めた時から入っていた)、それは都合良く誰にも気づかれていない。空き時間にパチパチ打つにはまことにちょうどよい。OSはWindows7だがcpuはintelCOREi7だ。なぜこのようなお宝が僕の机に持ち腐れになっていたのか。勝手に天啓だと思うことにしよう。
 

朝起きるとやはりまだ右目の外側が赤く、チクチクと妙な違和感があった。やはり原因はコンタクトだろうか。コンタクトのアイシティに薦められるまま生感覚レンズを購入したが、あれは著しく失敗だった。つい1ヶ月ほど前にも目の中でコンタクトが半分に割れ、片割れが目の中に残ったままになった。目医者に行き取り出してもらったが、その経験は決して心地よいものではなかった。目の上下左右をスクレイパーをかけるようにして掃除するのだ。その間掃除されている目に映るのは暗闇のみで何も見えない。眼球がとんでもない方向を向いているせいだろう。あの目医者は良い医者であるとは思うが、サディストの気があるように思う。僕の目を掃除しながら馬鹿に嬉々とした声を出していた。
そういえば昨日コンタクトを外す際にわずかの痛みを感じた。僕の予想では恐らくまたコンタクトが割れ破片がそのままになっているものと思われる。今回もやはりあの目医者にいかねばならんのか。息子と一緒に眠る嫁さんに、目医者に寄るため帰りの遅くなる旨を伝えて、重くなった気をひきずったまま仕事に向かった。一昨日の雨からぐっと気温が下がり、外に出ると空気は冷たく、西の空、生駒の山には白くなった月がまだ残ったままでいた。

 7時台の奈良駅発の電車の最後尾に僕はいつも乗る。近頃気づいたが、同じ電車には毎朝チューハイのストロング缶(しかも500ml)を欠かさず持ち込んでいるおっさんがいる。そのおっさんは優先座席に座り、電車が発車すると「カチャコン」という音を立てて悠々とその危険な飲みものをあける。スト缶の色は白、あるいは灰色である。つまりオーソドックスなレモンチューハイではない。あれは、スト缶の中でも最も硬派な「ドライ」だ。なんと恐ろしいおっさんだ。朝の7時台からできる限り純粋で、最も酔えるアルコールを摂取しようとつとめている。僕の前の座席にはセーターを着たサラリーマン風の男が一人座っていて、優先座席でスト缶をあおるおっさんを見つけたその男は、口をポカンと開けてあっけにとられていた。気持ちはよく分かる。奈良。闇深い、いにしえの都市。

 1限は2年世界史A。甲午農民戦争で東学の話から儒教の話、そこから美味しんぼの話に飛んだ。すなわち儒教の礼節の部分を言うために美味しんぼ「キムチの精神」の回を利用したわけである。その会は富井副部長が韓国の方にそれとは知らずに大変な失礼をはたらく会で、僕のお気に入りの会でもある。生徒に美味しんぼを見ているかと問うと、お父さんが毎日見ているという生徒がいた。なんと素晴らしいお父さんだ。是非今度皆で「キムチの精神」の回を見よう。

2限は空き時間でボーッと小林秀雄の対話集を読んでいると、通りがかった社会科のS先生から「先生は小林秀雄がお好きですね」と声をかけられた。そういえば以前彼と飲んだときに岡潔小林秀雄の『人間の建設』の話をした。それは義父からすすめられた本で、その義父とは岡潔の『春宵十話』で意気投合したのだった。以来義父は岡潔にぞっこん惚れ込んで、僕の息子(生後9ヶ月)にも岡潔流の教育を施そうとしてくる。その度に嫁さんは嫌そうな顔をし、場はひりついて緊張感が漂う。つまり、そういうわけで嫁さんの前で義父に対し、岡潔の話を積極的にはしてはいけない。僕自身、岡潔の考え方に面白いところがあるとは思うが、人間がこちらの思うように教育できるとは微塵も思わない。生後何ヶ月の時は人間はこうなって、こうなって、と説明する義父にも違和感を覚える。僕は教師をしていながら、人間が人間を教育できるとは全く思っていないのだ。強制や脅迫を通じて教育しているように見せかけることはできる。しかし、それはつまりは子どもを王様にしたり奴隷にしてりしてるだけのことで、教育とは無関係のことだ。人間の教育は自然がやる。やっていいこと、いけないこと、できること、できないこと、興味を抱くもの、無関心のもの、本人が自然とつきあう中で自ら見つけていくしかない。我々は彼や彼女が独り立ちできるよう、自然の仕事の補助をするだけだ。と、これではルソーの言そのままだな。しかし彼の言うことが最も正しいように僕には思われる。人もまた自然物で、それぞれに違う。型にはめたように教育できるなどと、僕にはどうしても思われない。
僕は『人間の建設』の中でむしろ岡潔よりも小林秀雄に興味を持った。「刀はなまくらな方がよく切れる」というようなことを小林秀雄が言っていて、それは確か吉本隆明の本で見た気がするのだけど、その言葉を見た時に小林秀雄というのはなかなかえらい人だなあと感心した。それは切れすぎる人が決して気づかないことだ。岡潔との対談でも小林秀雄のえらそばらない態度に大変好感が持てて、『人間の建設』の中で見たかどうか、「批評とはミソクソにけなすことではなく、その作品を深く愛すことだ」との言葉を見たときに、小林秀雄のことがまた好きになった。それで、夏に児島のcapitalで小林秀雄対談集の古本を見つけた時に迷わず買ったのだった。S先生に言われて気づいたが、吉本隆明小林秀雄や、僕は批評家と呼ばれる人が好きなのだろうか。いや、それというよりは自分はどうしようもないと諦めてしまった人のことが好きなのかもしれない。吉本隆明は詩を諦め、小林秀雄は小説を諦めた。
 小林秀雄の対話集はまだ途中であるが、冒頭の坂口安吾との対話が混迷を極めていて大変面白かったというようなことをS先生に話した。2人とも「それは違う」の応酬でそれぞれが勝手なことを話し、まるで対話になっていない。ただの大人のけんかである。それでも芸術の規矩と自由、不自由の話は興味深かった。規矩を侮蔑し、規矩から自由になった芸術。そのような芸術が良いと言えるのかどうか。小林秀雄は規矩には服従するほかないと言った。僕はその規矩を軽蔑したり、それに服従する以前に、そいつを意識したこともない。多分、小林秀雄坂口安吾の生きた時代より、ずっと何も考えてないんだろう。
似たようなことで、人間にも賢、愚の基準はあるのだろうかと近頃よく考える。僕にはわからない。そのようなものないように思う。それは昼が良いか夜がいいかというような話で、ただあまりに昼が賞賛されすぎていると、嫌な気分になるだけだ。夜の気持ちもわかってやれよと思う。それに、愚とされている人間の方が賢とされている人間よりはるかにえらいこともある。度重なる思考の結果愚と見えるまでになったというだけだ。「なまくら刀の方がよく切れる」ってのはそういう意味だろう。

3限3年世界史B。3年の授業は今年度最初から苦労を極めた。3年になって初めて受け持つ生徒たちで、彼らを除いた200人余りの同級生を昨年教えていたので、年度初め彼らは僕のことを噂でだけ知っている状態だった。一番やりにくい状態だ。むしろ何も知らない方が良い。昨年、今年とコロナの影響を受けまくった学年で、何というのだろう、皆生気がないくせに警戒心が強い。それは去年めちゃくちゃな成績の付け方をされたせいもある。とにかく1学期、2学期と馴れ馴れしくするのをやめ、鉄のように冷たい授業をすることを心がけた。余計な心労をかけないためだ。それでもこちらの意図するところは本当はそうではないことを示すために授業が45分を過ぎ、残り5分となったところで色々なものをスライドで見せるようにした。自らの家族のことであったり、家族のことであったり、家族のことであったり…身の回りにあって飽きないものは家族ぐらいしかなかったので、その映像や写真をたくさん見せた。そのおかげ、かどうかは知らないが、近頃は授業中に随分話せるようになった。ちょうど3年は受験シーズンで、推薦やら公募やらAOやら、近頃は色々ありすぎてよく分からないが、この日の授業でもつい先日受験だったという生徒がいた。どこの受験だったのかと尋ねると近大だというので、嬉しくなって学部を聞くと「経営学部」と、いかにも真面目そうなその生徒は答えた。経営学部。我々近畿大学文芸学部の人間が(あるいは僕だけかもしれないが)キャバクラと呼んでいた学部だ。灰のような人間を集めた文芸学部にはあまりにまぶしすぎる学部で、経営学部の男子は全員ヤリチンだと思っていたし、女子もまた男子と同様であると思っていた。経営の女子はもれなくその茶色や金色になった髪の毛を熱々のコテで巻いて登校するのだ。その経営学部。その経営学部にこのように真面目な高校生男子が、人生で人よりこだわったものはあるかとたずねて「源氏物語」と答えるようなメガネ男子が入ろうというのだ。僕は彼に、君がこれから入ろうとしているところはキャバクラだと心得た方がいい、と授業中によくよく諭した。それでもまだ全然言い足りないくらいだった。彼もヤリチンになってしまうのだろうか。しかし、それもまた変化があって良い、と思った。むしろそうなることを望んでいる自分もいる。この時間はキャバクラの話でほとんど終始した。

 4限は再び空き時間。この時間に今は誰も使うことのない社会科教室で、長机を4つほどくっつけ、雄大なるその机の上でごろ寝をすることを画策する。去年から知っていたことだが、社会科の人間全員に配られた社会科準備室のカギで社会科教室も強引に空けることができるのだ。が、行ってみるとすでに社会科教室の扉は空いていて、「ナントカ専門学校」みたいな張り紙が扉に張られ、山のような資料が教室前に置かれていた。そういえば今日は昼から2年生の進路相談があるのだった。つまり進路相談に社会科教室を使うということなのだろう。僕は全く面白くない気持ちになって職員室に帰り、イスに座ったまま眠るように努めた。

 5限3年世界史B。3限とは違う方のクラス。近畿大学について、また経営学部のキャバクラ性について深く語り合った。近畿大学の生徒数3万人。そのうち半数が女子だとして女子の数1万5千。うち1割がかわいいとして、かわいい子の数1500。1500。天文学的数字だ。僕が勤めるこの高校の全校生徒より多い。実際僕が在学中にも山ほどかわいい子を見た。かわいい子が多すぎてもう「かわいい」のがどういうことか分からないほどだった。しかし、意外にもこの子が一番きれいだ、と思ったその子は経営学部のキャバ嬢の中にはいなくて、我が文芸学部にいた。鶏群の一鶴というやつさ。確か芸術のほうの学科だったと思うが、あまりにきれいなので学内でもよく目立って、その子が通る道のわきでチンチンを振り回してそうな男子がひそひそ話しているのをよく見かけた。そしてなぜかその子は僕と一緒にいることが多かった。確か英語の授業で初めて一緒になったのだと思う。僕はカート=コバーンのTシャツを着ていてその子から「目光ってるね」と話しかけられた。もちろん僕の目ではなく、Tシャツのカート=コバーンの目のことだろう。以来何かにつけその子から話しかけられるようになった。当時の僕はまともに女性と付き合ったこともなく、当然童貞で、もてるともてないとか、そういうことに関する自信が全くなかったために、その子から話かけられてもただからかわれているのだろうとしか思わなかった。だけどよく考えてみるとわざわざ利用価値のまるでない僕を選んで話しかける必要もないわけで、からかう必要も当然ないわけで、もしかしたらちょっとは僕のことを好いててくれたのかもしれない、と今になって思うところもある。そうだったらいいな。そうだったら灰のようだった大学生活にも少しいろどりがあったように思える。記憶ではチンチン振り回してそうな男子が噂しているその子の隣には、僕が一緒に歩いていた。
授業ではそんな話はせず、かわいい子の概算と、あとは近畿大学が受験料、授業料だけで一体いくら稼いでるのかというような計算を皆でしただけだった。授業の単元は南北戦争であったが、北部が勝ったという以外にそれについて何かを言った記憶がない。あとは授業の最後の5分で、うちで土鍋でご飯を炊く様子と、僕の作った天津飯、それから息子がゴロゴロしている様子を見てもらった。

6限は進路相談のために授業が無くなり、帰ることにした。校門を出ようとしたその時に「イッチ、二―、イッチニー、そーれ!」という声が聞こえてきて、振り返ると3年の女子が牛や馬のように走らされ、ちょうどこれから校門前を通過しようかというところだった。女子の向かうその先に、僕の高校時代同級生であったゴリラのような体育教師が厳然と立っていて、彼は僕に気付いて手を上げた。それで僕も手を上げて応えて、校門を出た。後ろで女子の笑い声が聞こえた。僕はよく生徒から笑われる気がするのだが、何がそんなにおもしろいのか。嫌な気も別にしないが、僕は僕で一生懸命生きているだけだ。何もそんなに笑うこともあるまいと思う。

 帰る前に目医者に寄った。きっと生感覚レンズがまた割れて破片が残っているに違いない。何が生感覚レンズだ、などと憤っていたが、診断結果は逆まつげだった。サディストと思われる先生に3本ほど逆まつ毛を抜いてもらって治療終了となった。考えていた以上に安易な原因に、なんだか心が軽くなって、飲むまいと思っていた酒を、つまりはチューハイを2、3本薬局で買って飲んで帰ることにした。