ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

モンゴル初日

7月15日(土)

朝4時半に起きた。今日のモンゴル行きの飛行機は14時40分成田発である。12時には空港に着いておきたい。逆算して8時半に家を出ておけば横浜に9時半、10時のリムジンバスで12時前に成田に着く算段となる。

すなわち、あと4時間で出発の準備を整えなければならない。

まず、洗濯物を回した。ドラム式をこの春に買ったのであとはボタンを押すだけでいい。乾燥が終わるまで2時間半と出た。

それから布団を上げ荷造りにとりかかる。途中息子が僕の本棚から乱雑に出した頭文字Dが気にかかったのでちゃんとカバーをして本棚にしまった。どうもこういうことがキッチリしてないと腰を据えて何かに取りかかれない性分である。机の上が綺麗じゃないとやる気にならない。

荷造りは50ℓのリュックで行くか、120ℓのオバケみたいなリュックで行くかで迷ったが、モンゴルは昼はともかく7月でも朝晩は寒いと聞くので防寒具を入れる用に120ℓをチョイスした。

最後に使ったのはコロナ前、多分2019年で上海のタグが付いたままだった。

キャンプの荷造りをする際に留意していることが2つある。一つはビニール袋をたくさん持って行くこと、もう一つはタオルをたくさん持って行くこと。あとは別に何を忘れてもどうということはないが、この2つが無いと致命的なことになる。

荷造りを終えたのが7時ごろで、それから朝飯を作り始めた。冷蔵庫の中にあるものを消費するため卵キムチうどんにトマトときゅうりのサラダを作った。

洗い物を済ませインスタに上げる用の絵を描き始めた。モンゴルに行くことを一応報告しておきたかった。描き上げたのが8時15分、あとはスキャンしてインスタにアップするだけなのだがパソコンの調子がすこぶる悪くなかなか立ち上がらない。立ち上がっても反応が遅い。パスワードの入力画面が出るまでに10分ぐらいかかった。それから大急ぎでスキャンを実行し、あとはgmailで自分宛に画像を送れば良いだけなのだが、Google Chromeが立ち上がらない。立ち上がって、gmailに移動したところサインインが必要でそのサインインにも5分ぐらい時間がかかり、結局家を出たのは8時55分だった。新しいパソコンが心から欲しいと思った。

120ℓのお化けリュックを抱えたまま駅までダッシュした。結果、予定の1本遅れの電車に乗ることができ、横浜に9時40分着。無事10時の成田行きリムジンに乗ることができた。が、バスの中が何やら騒がしい。バスの座席が足りてないようで乗客が騒いでいる。子連れが何組かいたのだが、どうやら子どもはチケット無しで乗車しているようで、その分だけ座席が足りてないようだった。子どもを親の膝の上に乗せることで一応解決したが、バスの添乗員が外国人の親子に「膝の上に乗せる、プリーズ」とジェスチャーを加えながら言うのに、それって英語で何と言うんだろうなとしばらく考えてしまった。

could you put your child on your knees?で合ってる?

chatgpt先生に聞いたところ、place your child on your own lap.と言うらしい。

バスの中で琉球大学の先生に送る手紙の文面を考える。モンゴルが終わって無人島が終わったら次は沖縄だ。そこでうちの代表が、琉球について書いた本の著者に会いたいというのだが、その人が僕が手紙を書こうとしている相手だった。1時間半みっちり考えた。

成田に着いて、チェックインを済ませ、大急ぎで手紙を書いた。チェックインカウンター前にちょうど良い机があったのでそこで書いた。本当はもっとゆっくり丁寧な字で書きたかったが、時間が無く、最後は殴り書きのような形になった。それでも1時間近くかかった。だけど、メールやLINEと違って手紙を書くのは楽しいと思った。面識のない、ぶしつけなファンレターのような手紙なので拝啓も敬具もはしょったがそれで良かったのか。返事があれば良いが、さて。

モンゴル行きのゲートは成田の果ての果て(確か67番ゲート)で、チェックインカウンターから着くまでに30分ほどかかった。成田は保安検査場を通過してしまうとあまり食べるところが無いんだ。売店でビールとサンドイッチを買って昼食を済ませた。

搭乗後は特に何もなく、ひたすら岡潔の『紫の火花』を読み続けた。それで10代の頃から自分の邪魔をし続けたのは他の誰でもない自分自身だったのだなと気づいた。あと、心からやりたいことは、本当のところ何なんだろうと思った。これがやりたいと自分で思い込もうとしているものではなく、本当に自分がやりたいもの。それが見つかるまではきっとうんと考える必要があり、多量の時間がかかる。

本を読んで寝て、本を読んで寝てを繰り返して、まだあと1時間ぐらいあるだろうなと思ったところに、飛行機が着陸体勢に入りますとアナウンスがあった。予定より45分も早く到着するらしい。僕は通路側だったが、外を見てみると見渡す限りの草原と丘が広がっている。田んぼも畑も森も人家も何もない。まるで火星のようだった。ところどころ白くポツポツ見えるのは遊牧民のゲルだろうか。

ウランバートルチンギスハン空港に到着したのは現地時間19時頃だったと思うが、まだ太陽は中天にあり、つまりは真昼だった。22時を過ぎないと暗くならないらしい。

夜7時過ぎのチンギスハン空港

今回のキャンプのモンゴル側の責任者の方が空港まで迎えに来てくれていたので、車に乗って移動する。空港で「TAXI?」と声をかけまくっている兄ちゃんがいたが、ぼったくりだろう。モンゴルでもあるんだ。大体どこの国でも向こうから声をかけてくるやつは詐欺かぼったくりか、集団でのスリか、とにかくロクなやつではない。声をかけられた時は気を引き締めた方がいい。声をかけられ右を向いてる間に左のポケットに入っている何かが盗まれている。

ただ一つの例外の国が日本だ。

車の移動中、それまで見たことのない景色が広がっていた。とにかく行けども行けども草原と丘。たまにゲル、たまに牛、馬、羊。細かいことを考えるのがバカバカしくなるほど何もない。景色を写真に収めるため窓を開けると甘い匂いがした。モンゴルの草原は甘い匂いがするのだと知った。

ひたすらこの風景が広がっている。

「引きこもりやいじめや、今教育的に困難に直面している子どもたちは3ヶ月インドかモンゴルにぶち込めばいいんだ、それで大体治っちまう」と乱暴な説をかなり年配の先輩から聞かされたことがある。インドに関しては行ったことがないのでわからないが、モンゴルに関してはそれは本当だろうと思った。何も考える必要などないのだと体でわかってしまうからだ。生きているだけで十分なのだと心がわかってしまうからだ。

空港から1時間ほどでキャンプ場についた。時刻は20時を過ぎてようやく空が赤く染まり始めた。到着してまずミルクティーを出してもらったが、しょっぱいミルクティーで、どちらかと言うとミルクスープだと思った。夕食には牛が出た。今回のキャンプのために2頭牛をつぶしたらしい。羊も1頭つぶしたと聞いた。

それからビールとウオッカを飲みながらモンゴルのこと、内モンゴルのことを色々聞いた。
社会を教えている身としては勉強になることばかりだった。教科書に書いてあることと、現実とは違う。現実の方がどの意味でも遥かにすさまじい。

就寝したのは12時ごろだったかと思う。キャンプ場は丘の中腹にあって、丘の上まで登れば天の河も見えるということだったが、今日は朝4時半起きでそれからずっとバタバタしてたので、宿舎に入ってすぐ寝た。多分ベッドに横になってから2分以内には眠っていた。