ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

一生描くことを続ける

奈良から神奈川へ移って3ヶ月。ようやくこちらでの生活にも慣れてきた。慣れてきたということはつまり、時間に余裕が出てきて、ようやく作りかけだったスタンプに手がつき始めたということだ。

だがしかし、その生活もあと2週間で激変する。僕はモンゴルへ行き、無人島へ行き、沖縄へ行く。ようやく慣れ始めたこの場所を、この家を1ヶ月以上離れる。

キャンプから帰ってきてまた1からやり直し。夏を挟むたび毎年そうだった。自分自身も夏を挟むと夏までの自分と全く違う感覚になってしまうから(生きることに冷徹なほどシンプルに、ストレートになる)、また新しく1から、てのは仕方がないんだけど、そして新品になった夏以降に人生が動くことが多いからそれはそれでいい面もあるんだけど、自分の中に途切れずにずっとつながっているものが欲しいなあと思った。

ずっとそれを考えていて、以前の日記に書いたように考えることを続けようと思っていたんだけど、それだけじゃやっぱり満足できなくて、何も考えなくてもそれをしているだけで楽しい(というか心が落ち着く?)ものが欲しいと思った。禅僧の掃除ように、繰り返し繰り返し無心でできること。

そしてそれはやっぱり描くこと(書くこと)だろうなと思った。

今まで主には漫画用の絵を描いていたので、その絵がきれいに(かわいく)見えるように苦心して描いてきて、おかげで絵を描くのがなんだか億劫になってしまっていた。
自分にそんな「正しい」絵が描けるんだろうかとか、どうしても「正しい」絵にならなかったらどうしようとか、そんな邪念が頭の中をこすりまくって、描く前からゲンナリして描くのをやめてしまう、そんなことを毎日毎日繰り返していた。
今でもスタンプの絵なんかを描く時にはそんな状態になってしまう。気負いすぎてやりたくなくなるし、やり始めたとして、一つの絵を描くのに時間がかかりすぎるのも嫌になる原因だった。


先日、子どもにせがまれて車の絵を描こうとした時に、自由帳のページをめくるとむかし嫁さんが子どものために描いた車の絵が出てきた。ボールペンで実に適当に描いてあって、正しいもクソもないその絵が、すごく自由で伸びやかで、僕はとてもいいと思った。僕もこういう絵が描きたいと思った。

それで正しいとか上手に見えるとかそんなこと無視して、一度何も考えずに車の絵や子の絵を描いてみようと思った。誰に見せるわけでも見られるわけでもない絵。
いつもみたいに写真を参考に絵をじっくり考えながら「作る」のではなく、実物だけを見て、手元はあまり見ないようにして、見える通りにサッサと描いてみた。子どもも車も動いてしまうのでサッサと描かなければならない。

出来上がった絵は、そう悪くないと思った。いやむしろ消しゴムを使いまくって緊張感丸出しのそれまでの自分の絵より随分良いと思った。なにより、今まで苦痛でしかなかった描くという行為が、実に久しぶりに楽しいと感じた。描くことが楽しいと感じたのは漫画の模写をせっせとしていた時以来だと思う。思えば初期の模写ばかりしていた頃は無心だった。

久しぶりに楽しく描けた。


きっと苦痛だったのは描くことではなく、描いている途中にあれこれ死ぬほど考えてしまうことにあったのだろう。脳が疲れすぎて拒否反応を起こしていたのだ。
加えて絵を描くきっかけになった漫画の模写も、ずっとそればっかりやってきたがために、そっくりに「描かなければならない」が染み付いてしまって、神経質な自分をより神経質に追い込んでいたのだと思われる。

とにかく、絵を描くのが嫌いだったわけではないと自分自身でわかって、それが何より安心した。神経質な、イヤな方面に自分が流れそうになった時は「適当に、素早く、手元を見ずに(線に無責任に)」を心がければ良いとわかった。
実際そのようにしてしか僕の好きな絵は出てこないし、そうするのが一番楽しい。無心になれるしね。

つまり、そういうわけで禅坊主の掃除のように、これから死ぬまで毎日描こうと思った。

描くものがない?そんなバカな。
いくらでもあるだろう。君はまず子どもの絵を描けば良いのだから。

そして、「描く」はまた「書く」ことにも通じていて、今回の日記も随分堅苦しいものになってしまったけど、パッと絵を描くようにライトに、400字以内ぐらいで日々のスケッチをここに残せれば良いなと思う。前回の日記でここをTwitterのように扱えれば、と書いたのがそれだ。
そうして僕は家を空けることが多いから、嫁さんにここを読んでもらって自分がどのような状況にあるか知ってもらえれば良いと思う。

大学ノートにつけている日記があるから、と今まではここに出しすぎることを躊躇していたが、なんかもうどうでも良くなってきた。ここに書いたからと言って、人に絶対に言えないことや、人に宛てて書こうとすると書けなくなることが僕の中から消えるわけではないので、つまり大学ノートに書く内容が無くなるわけではない。

だから、もっと適当に、無責任に。それで十分だよ。