ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

個人的働き方改革

今年度は高3しか受け持っていないのでもう間もなく授業を全て消化し終わる。2月半ばから1ヶ月は暇になるのでそこで絵本と火おこしのための簡単なマンガを作りたい。
ギターも毎日弾いていて、Fコードへのチェンジがだんだん上手になってきた。力んでちゃダメなんだ。そのことに最近気付いた。
何歳になっても上達するのは楽しいことだ。


教員になってから、常勤の時も非常勤の時も同じやり方でやってきた。授業の数日前にプリントを作って、予習をして授業に臨む。その繰り返し。授業の都度準備をするので学期が進んでいくとどうしてもケツに火がついて自転車操業になってしまうが、他に良いやり方も思いつかず毎日仕事に追われながらやってきた。

次年度のことは3月になってみなければわからない。僕にまた講師の声がかかるのかもしれないし全然かからないかもしれない。
しかし、もし次年度もこの仕事をやっているようなら仕事の仕方を今までとは大きく変えたいと思う。

一ヶ月分、あるいは一学期分、可能なら一年分の仕事を4月の時点で終わらせてしまいたい。今までそんなことはできないと思っていたけど、6、7年やっているとそれまでやってきた経験があるから一年がどのような形で推移していくのかある程度の予測はつく。これまで教えたことのある科目に関しては蓄積もあるから、一年分のプリント作るだけなら簡単にできるだろうと思う。
ただ、毎年同じプリントで同じ授業をするのもつまらない。

今年は新しく自分の授業ノートのようなものを作ろうと思う。今まではプリントに色々と書き込んでいたが、見辛いしわかりにくい。
ノートに授業内容とそれに附随する諸々のことを書き込んでいく。エピソードであったり、関連する面白い本であったり、現在との比較であったり、僕の体験談であったり、そういったことをどんどん書いていく。つまり、虎の巻のようなノートを作る。

一昨年生徒に自主的に作ってもらったようなノートを、改めて自分で作ろうというわけだ。いや、本当は誰より僕自身がそれを作ってみたかったのかもしれない。
ノートはルーズリーフの形にして毎年増やしていけるようにするのが良いかなと思う。いつかパンパンになるまで増えれば嬉しい。

授業に関しても今までずっとプリントでやってきたし、現在高校でノートをとらせている先生にもお目にかかったことはないが、近頃穴埋めプリントの授業に疑問を抱くようになった。どうも穴埋めがあるために生徒が集中力を欠いているように思えるのだ。
なんとなれば穴埋めプリントは自習はともかく、授業においては自主性を著しく減退させるのではないか。やってあげる、という行為はやられた側の成長の機会損失と惰性を生む。プリントは生徒が行って成長すべきことを「やってあげて」はいないだろうか。

授業を聞いて、考えて、まとめて、ノートに書く。
それはとっても大切なことのように思えるが、現状それではカリキュラムを終えられないために、その機会を全て奪う形でプリントを使う。スピードが求められているわけだが、しかし速くなった結果が現在の状況ならあまり良いとは思えない。
父や祖父の時代に、もっと言えば明治、大正の時代にプリント授業も無かったろう。それでも素晴らしい人がたくさんいるじゃないか。
僕にはどうも、今は大事なものをほったらかしてスピードだけが声高に叫ばれているような気がしてならない。ゆっくりでいいじゃんか。

一度、資料だけが載っているほぼ白紙のプリントを渡してノートを取るような形式で授業をしたことがあった。ちょうど単元的にそうするのがベストだと思ったからそうしたと思うのだが、そうして生徒には慣れないことで随分つらいだろうと思ったが、意外に一部の生徒からはノートを取る形の方が分かりやすいと言われた。穴埋めだけでは知識が細切れになって前後関係が分からず、わけがわからなくなるのだと。全体でどれくらいの生徒が同じことを思ってたのかはわからないが、僕が穴埋めのプリント授業に疑問を抱くきっかけになった。

もし可能なら来年はノートで授業をして、資料だけプリントで渡すようにしたい。

話が逸れた上に長くなったが、穴埋めプリントの授業でもノート授業でも使える自分のノートを作りたいということだ。世界史と日本史に関して言えば今からでも準備はできる。

そうして一ヶ月分の、あるいは一学期分の、できれば一年分の仕事を4月に終わらせてしまいたい。そのように仕事をした方がまとまりがあって効率が良く、仕事を大きな枠で捉えられるのが良い。チマチマやってると時々自分が今何をやってるのかわからなくなるし、毎度追われてる感じがして辟易する。

何より、しんどいところを学期の最初に済ませておけば後には余裕ができる。その余裕をこのブログや漫画や作品作りに思い切り使いたい。
今年からは自分のやりたいことに一番大きくてたっぷりとした時間を使うと決めた。そのためには働き方に工夫を加えなくてはならない。

働き方を変えることはつまり、生き方を変えるとこに通じる。