ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

ローザンベリー多和田に父の作品の展示を見に行く

先々週の土曜日、父の作品の展示がそこであると言うので、滋賀は米原にあるローザンベリー多和田というイングリッシュガーデンに僕と嫁さんと春ちゃん(息子)で行ってきた。

朝は7時にミルク、11時に離乳食を食べさせ、ちょうど12時ぐらいに出発した。我々の朝食は前日のおつまみパーティーの残りもので、唐揚げやら焼き鳥やらキンパやら、朝から油物を大量に摂取したおかげでその後なかなかお腹がすかなかった。
ローザンベリー多和田をGoogleマップで検索する。2時間かかるとのことで、車を買ってからの移動はどこもほとんど1時間以内のところばかりだったため、久しぶりの遠出という気がした。それで、気合いを入れて嫁さんに誕生日に買ってもらった綺麗な靴を今年に入って初めてはいた。

ガソリンは8割残っていたので給油は必要なさそうだった。ラジオにすべきか、ブルートゥースで僕のiPhoneから曲を流すか迷ったが、特に聴きたい曲も無かったのでFMを流して車を発進させる。発進させて割とすぐにFMココロでLed Zeppelinがかかった。マンドリンの音色がシビれるほど良かった。なるほど今の僕はツェッペリン気分なのかとよくよく分かって、以降ラジオはストップして僕のiPhoneから Led Zeppelinを流し続けた。
ツェッペリンをかけ始めてすぐ「この人たちも誰か死んだ?」と嫁さんが聞くので「ドラムが死んだよ」と答えると「あぁ、あの入れ墨の、坊主の…」と嫁さんがつぶやいたので「違う、それrage against the machine」と訂正した。レイジは誰も死んでない。
その後話はyoyokaちゃんというYouTubeでレイジを叩く女の子のドラマーの話になり(最近友人から教えてもらい夫婦で話題になった)、その子を発掘したのはどうやらツェッペリンのロバートプラントだったということを嫁さんに伝えた。確か女性ドラマーの世界コンテストか何かで、ツェッペリンの『Good times Bad times』を8歳ぐらいのyoyokaちゃんが叩いてる動画をロバートプラントが見てびっくり仰天した、という経緯だったと思う。
発掘されるにはただ光っているだけではダメで、発掘されやすいように光り方を模索する必要がある、というようなことをyoyokaちゃんのエピソードからちらと考えたが、それを嫁さんに話したか、あるいは自分の頭の中だけで留めたか。

京奈和道に入り、しばらくすると春ちゃんが寝て、嫁さんも寝た。途中まで兄の家に行くルートと同じだったが京滋バイパスを抜け、滋賀に入ると見慣れない景色が広がった。果てまで続くかと思われる田園の美しさに、思わず嫁さんを起こした。嫁さんは「うん…」とツレない様子だったが、滋賀に友人がいて田園風景は見慣れていたのかもしれないし、もしかするとただ眠たいだけかもしれなかった。

瀬田東で名神に合流。実に久しぶりに名神を走った。20代後半まではよく友人と名神を走って岐阜までスノーボードを楽しみにいったものだった。その頃は夜大阪を出発して朝岐阜に着くというような行程だったので、昼に名神を走るのは初めてかもしれないと思った。いや、そんなはずはないか。しかし、通り過ぎる景色に全く見覚えがない。
ともあれ名神を久しぶりに走っているというその事実だけが僕のテンションをガンガンに上げ「このまま東京まで行ってみようか」と嫁さんに言った。本当に行ってしまえると思った。だってあと5時間ほど運転すれば着くのだろう?楽勝じゃん。嫁さんは「そうだね」と言ってフフと笑った。3人で、夜の高速を走って東京へ。車内はサカナクションの『ルーキー』がかかって、春ちゃんは眠り、後部座席に座る嫁さんの顔を高速の街灯が断続的に照らし出している。そんな光景を夢想してワクワクした。

これまた久しぶりに多賀のサービスエリアの標識を見て、岐阜まで行く際にはよく多賀に立ち寄ったことを思い出した。時間は13時半で、そういえば朝に油物を食べすぎたせいで忘れていたが、昼飯を食べていなかった。嫁さんと話して、多賀に立ち寄り簡単にお昼を済ませることにした。ローザンベリーに着いてからでは遅くなりすぎることが予想されたからだ。それにきっとローザンベリー内で食べると高くつく。
多賀のSAで僕は黒とんこつラーメンとチャーハンのセットを、嫁さんは「大うちゅう」みたいな変な名前の麺類を頼んだ。確かラーメンとそばの合わせ技みたいな食べ物だった気がする。僕の頼んだチャーハンのあまりの冷凍食品っぷりに、そういえばSAの食事とはこのようなものだったなと思い出して、特に何の感動もなく食べた後すぐに出発した。そういえば大うちゅうはおいしかったのだろうか。米原インターで高速を降り、のびのびした滋賀の平地を走って、ローザンベリー多和田に着いたのは14時半頃だった。

イングリッシュガーデンと言って、どの程度の規模かわからなかったが、めちゃくちゃ大きなガーデンで、いまだにあちこちでショベルカーが動き、ライブで拡張工事が進んでいた。横に長いのでどれぐらいとは正確には言えないが甲子園などの球場より大きいのではないか。その道を通る車は間違うことなくローザンベリーに吸い込まれていき、第一駐車場はパンパンであった。運良くゲート近くに車をとめることができた。

ガーデン内に入るのに有料なのか無料なのか判然としなかったが、駐車場近くのゲートでは体温検査と消毒だけでお金がかからなかった。それでタダで入れるのかと思ったが、しばらく進んだ先にガーデンのショップがあり、その先にもう一つゲートがあってそこからは有料だった。大人一人1300円。結構する。

ゲートをくぐってすぐに授乳室を探した。春ちゃんのミルクの時間だった。ガーデンの地図を見ながら授乳室の場所に行ってみるが、その場所は池のほとりの英国風の静かな庭で、およそ授乳室がありそうではなかった。嫁さんに地図を見てもらうと「全然違うやん」と言いながら先のショップの方へ向かってどんどん戻って行く。そんなはずはない、地図は池のほとりを指しているのだ。僕は嫁さんが間違っているに違いないと確信して嫁さんの後をついていったが、マヌケは僕の方だった。僕は「地図の読めない男」だったのかと少しショックだったが、それはどちらかというと地図の書き方が悪く、地図の矢印の先に二つ表示があって、そのうちの一つが授乳室だったのだが表示が矢印と離れていたために、矢印の指す場所と授乳室は関係ないように思われたのだ。断じて僕の地図の読み方がおかしかったわけではなかったことを改めて明言しておく。ローザンベリーは地図を直した方が良い。
それはともかく、授乳室はクーラーが効いて涼しく、春ちゃんも上機嫌でミルクをすぐに飲み干した。

気を取り直してガーデン内を散策する。まずは父の作品が展示されている洋館に向かった。洋館は真ん中にドーンと広間があって、その左右にさらに部屋がついているタイプの2階建てのきれいな建物だった。バイオハザードの洋館をイメージしてもらうと分かりやすいか。
開いてはなかったが向かって左側の部屋はバーになっていた。ローザンベリー多和田は変わった営業の仕方をしていて、昼の部と夜の部が17時で切り替わり、そのタイミングで一旦閉園されるのだが、もしかするとバーは夜になると開くのかもしれない。
父の作品はその真ん中のドーンとした広間に展示されていて、数としては30〜40、かなりの数が展示されていた。床はモノクロのタイル地で嫌味のないオシャレ感を演出しており、洋館の中で見る父の作品は少し雰囲気が違って随分ハイソなものに見えた。
種類としては竹、黒竹、アジサイユーカリミツマタといった定番のものを初めとして、アイやスモークツリーなど初めてお目にかかるものもあった。嫁さんは随分スモークツリーが気に入っていたようだった。そういえばそのスモークツリー、父と長野のキャンプに行ったときに父が民宿の女将さんに頼んで採らせてもらっていた。「こんなにたくさん花(と言っていたように思う。スモークツリーのモフモフの部分)ついてるの見たことない!」と父は長野のスモークツリーに大興奮していた。父は時々興奮して我を忘れるほど植物が好きで、「昼までに終わるから」と言われノコノコ植物採取の旅に付き合ったが最後、深夜まで付き合わされ、今日は一体帰れるのだろうかと絶望的な気分を味わう羽目になる。竹を切る時も「あと10本!」と言われてからが長い。そこから100本ぐらい切ったんじゃないかという段になってはじめて終わる。何に関してもそういう具合で、父の被害者の会は全国各地に点在し、その会員も順次増え続けている。とにかく年がら年中植物にまみれた生活を送っており、自らを「植物人間」と称するなど、ふざけた話には事欠かない人だ。そういえば時々笑えないブラックジョークをぶちかましてくる癖もある。

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左のがスモークツリー、右はカラスムギかな。

洋館の中の展示では、僕にはアジサイのリースが圧巻であった。父の作品の中ではど定番だが、今回見たのは直径がトラックのタイヤぐらいあって、それでいて肉厚でアジサイがしこたま使われており、むちゃくちゃデカい。とにかくデカい。父がよく「迷った時は大きくいけ」と言っていたことを思い出した。もっともその言葉はフィリピンの現代アートの作家さんの受け売りらしいが。素直にこのアジサイのリースが欲しいと思った。値段を見てみると8万円。安いと思った僕の感覚はバグり始めているのだろうか。多分30万円と書かれていても納得してしまう。洋館の雰囲気も相まって、それほど鮮烈な印象だった。

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トラックのタイヤぐらいデカくて太いアジサイリース。売れただろうか。

僕らが入る前は誰も洋館の中にはいなかったのに、僕らが入った後ゾロゾロと人が入って来た。嫁さんといるとそういうことがよくある。本人もその気になっており、僕も雨男などと言われるが、人がそのような能力を持つことってこの世に本当にあるのだろうか。
写真撮影はOKだったので写真をパチパチ撮って、動画も撮って、もう一度ぐるりとリースをじっくり見て洋館をあとにした。展示初日でまだ開館からそんなに時間が経ってないはずなのだが、よくみるとミツマタのリースには売約済みの札がかかっていた。ミツマタ、香りが良いね。買った人はいい趣味をしている。

「あんたの作ってるもんはゴミやなあ」そう父のリースが評されてから何年経つのだろう。老境に差しかかってから、たくさんの人の助力を得て父のリースは売れるようになった。人に知られることは大事なことだ。それ如何でそのものの価値まで変わってしまう。知られるように尽力してくれる人がいたことは本当にありがたいことだ。その人たちがいなければここまでは来れなかったろう。幼い僕や兄に「今年こそはリースを売る!」と母の手前高らかに宣言していた父が懐かしい。何十年も経ったけど本当に売れるようになったじゃん。


この旅のメインをあとにした僕たちはそもそものローザンベリー多和田のメイン(なのか?)、羊のショーンの展示があるポイントに歩みを進めて行った。途中、夜の部で光るであろうイルミネーションを多数目にする。これらが一斉に光ればそれはさぞ壮観であろう。
ローザンベリーは入口から左手に向かってずっと丘になっているのだが、どうやら羊のショーンの展示はその丘の最上段にあるらしい。父の作品の展示は先の洋館内だけでなく、巨大アジサイリースが一点、園内のどこかに飾られているらしい。それも探しながら丘を登っていく。嫁さんは「入口のとこに飾られてあったのがそれちゃうかなあ?」との意見を述べたが、僕はそのリースを見た記憶がなかった。ということは絶対にそのリースではないということだ。父が巨大というのだからそれは本当に巨大なのだ。見たか見てないかちょっとわからない、なんてシロモノなはずがない。一発でそれとわかる、バカみたいにデカいリースがきっと園内どこかにあるはずだ。

丘を登る前にバーベキューのできるスペースがあって、そこではお酒やアイスも売られていた。さらに羊のショーンのパン作りもそこでやっていた。なるほど、ここはただガーデンを見て回るというだけの施設ではないようだ。
バーベキューコーナーの先にブドウ園に模したイルミネーションがあり(本物のブドウがぶら下がってるのかと思いきや全てイルミネーションだった)、その先がずっと丘になっていた。ベビーカーを押して登るには結構エグい斜度である。その丘の中を列車が走っているのだが、同じ高度をぐるぐる回るだけで上までは連れて行ってくれない。せっかく列車走らすなら上まで連れてってくれたらいいのに。この斜度は技術的に難しいのか。しょうがないのでヒーヒー言いながらベビーカーを押して丘を登り始めた。丘の途中右手ではショベルカーが山を盛り上げ地をならし、せっせと働いていた。このガーデンはまだまだ大きくなるのだろう。なんとなく丘は二段になっていて、一段目を登り終えたところでまた同じ高度を走り続けるだけの、あまり役に立たない列車が走っていた(つまり線路が上下2本ある)。その2本目の線路を越えた先に、まごうことなき父のリースが見えた。それはもう「あぁ、やっぱり」と思えるほどのサイズ感で、遠くからでもはっきりそれとわかるものだった。嫁さんに「あったよ、あれ」と指差すと嫁さんも一撃で分かったらしく「うわぁ」と声を上げていた。近くに寄ってみると3mぐらいあった。加減を知らぬ人は世の中にいるものだ。素材はアジサイであるが、もうドライになって茶色くなってしまっている。赤だったか青だったか、どちらかの色は残りやすいと聞いたことがあるが、茶色は茶色でまた良い。我が家にも僕が作った茶色のアジサイリースが玄関に飾られている。
そういえばアジサイは魔除け厄除けに良いと父から聞いた。父はその情報を銀座の女将と、京都は祇園の女将から聞いたらしく、二大花街の女将から直に聞いた情報なのだから間違いはないと鼻息荒く豪語していた。実際舞子さんたちは玄関にアジサイを飾って、それをくぐって表に出ていくんだそうな。

3mの巨大アジサイのリースの前にはカメラを置くための台があって、人がいない時を見計らって三人で写真を撮った。その後もう一度羊のショーン目指して丘を登り始める。いざ頂上に着いてみると、羊のショーンの置物がたくさんあって、人が入れ替わり立ち替わりひっきりなしに写真を撮っていた。登りきって暑くてボーッとしている中、嫁さんが「そういえばお父さん羊のショーンのキーホルダー付けてたね」と言った。何のことかと一瞬分からなかったが、ちょっと考えてハッとした。
そういえば父は車のキーに10cm台の割とデカ目のショーンのぬいぐるみをつけていた。もしかしてこのローザンベリーでの仕事と何らかの関係が…と思ったがそのぬいぐるみはこの仕事が来るずっと前からつけていた。多分全然関係ない。もしや父はショーンのファンなのか。

丘の上は一応羊のショーンの世界観が再現されていて、納家があったり、ショーンの家があったり、なんかお祭りっぽい広場もあった。が、僕も嫁さんも羊のショーンを知らないので(嫁さんは知っていたのかもしれないが)、特に興味もなく、うつろな目で適当に丘の上をぐるっと回って、ショーンの家は人がちゃんと入れるようになっていたのだが面倒くさくて家にも入らず、多数あるショーンの置物の端っこのやつを一匹をつかまえ春ちゃんと一緒に写真を撮って、足早にその場を立ち去った。丘に差し込む日差しがすごくて、暑かったのか春ちゃんも途中から泣き始めた。そう、とにかく暑かった。

ショーンの丘とは別方向、入り口から11時の方向にもう一つ丘の頂上があって、そこには教会みたいな建物が建っていた。念のためあそこにも行っとくかと、額に汗しながらもう一度丘を登り始める。そこは教会を模した結婚式場?で入り口にはハートのついた女神の像みたいなのが設置されていた。が、僕も嫁さんもそんなものは無視して中に入るとクーラーが効いていてめちゃくちゃ涼しかった。三人とも暑さにやられていたのでそこでしばし休んで行くことにする。嫁さんは「アイスが食べたい」と言った。そういえば丘を登る前、バーベキューコーナーでアイスが売られていた。それを思い出して僕もアイスが食べたくなった。結婚式場から少し下ったところにはカフェもあってアイスコーヒーが飲みたいとも思ったが、今アイスコーヒーを飲むと400円だか500円を5秒で消費してしまう気がして、やめておくことにした。かつて知人の家でコーヒーを出してもらった時、僕のコーヒーの飲み方を見た知人に「コーヒーてそんなに一気に飲むもんでしたっけ!?」と驚かれたことがある。その時も多分喉が渇いていた。

ひとしきり涼んだところで丘を降り始める。と、ガーデンの入り口で出会った年の差カップルとすれ違った。20代の女性と50代の男性のカップルとは珍しいなあと思っていたが、よくよく見てみると20代と思われた女性もしっかりお年を召していらした。マスクの恐るべき威力を目の当たりにする。

登る際には気づかなかったが、ショーンの丘の真下には本物の羊がいた。ポニーもガーデン内のどこかにいるらしいが閉園の17時が迫っており、ポニーには会えないと判断した我々はとりあえず羊にだけは会っておくことにした。赤ちゃんに免疫をつけさせるには動物園が良いと兄から聞いたことがある。今のところ春ちゃんは鹿と猫にしか会ったことがない。羊はレアだ。
近づいてみて驚いたが羊の顔って本当に真っ黒なんだな。もののけ姫に出てくるだいだらぼっちみたいだと思った。羊と人間の間に柵はなく、自由に触ることができた。春ちゃんを抱いたまま羊に更なる接近を試みたが、羊は全く意に介さず、短くなった牧草を一生懸命に食んでいた。その草短すぎて食べにくくないか。春ちゃんも一向羊を気にしてない様子で、動物がそこにいることすらわかっていないようだった。と、突然羊が顔を上げた。やっと我々に気づいたのかと思ったが、そうではなく羊飼いのお姉さんが閉園を知らせにやって来たのだった。周りの羊たちも一斉に顔を上げお姉さんの元へ歩み寄っていく。すごい、何も合図を出していないのに皆どうするか分かるんだ。羊たちはそのままお姉さんと一緒にどこかへ去っていった。放牧地から小屋に戻るのだろう。

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羊と同じ高度をグルグル回る列車。

その後なぜか我々だけ牧羊犬のフラワーちゃん(ボーダーコリー)をお姉さんから見せてもらう機会に恵まれ、我々を見てひとしきり立って、そしてすぐに座ったフラワーちゃんを確認した後、羊の牧場をあとにした。そこからは、台形にきれいに盛られた土と活動を停止した重機が傾いた日に陰影鋭く照らし出される様子がよく見え、幼い時分によく遊んだ田んぼの埋め立て地を僕に思い出させた。子どもの頃は夕暮れ時、誰もいなくなったその埋め立て地でベルトコンベアーに乗ったり、置き去りにされた重機を触ったりするのが何より好きだった。

丘を降り切ってようやっとの思いでバーベキューコーナーにたどり着いたが、何ということか、アイスの販売は終了してしまっていた。17時前に全ての店が一旦閉まるということなのか。非常に残念だが仕方ない。諦めて帰ろうと、とぼとぼ歩いて有料部分のゲートをくぐった。その直後嫁さんが歩みを止めた。有料ゲートをくぐった右手にはカフェがあり、嫁さんはそのカフェの出す山盛りの豪華なかき氷の立て看板をじっと眺めている。そういえばその立て看板、入園する前もじっと見ていた。「すごい贅沢なかき氷やなあ、でも時間もないし、高いし、こんなに食べられへんし…」と嫁さんが言うのを聞いて時間を確認してみる。看板には「ラストオーダーの時間を16時半→17時に変更します」と書かれてあった。現在の時刻16時50分。まだ間に合う。値段は1400円だった。それも二人で食べると考えれば問題ない。それより何より僕も喉が渇いているのだ。500円のアイスコーヒーを一気飲みしたいと思うほどに。だから量も問題ない。春ちゃんも眠っている。僕は「入ろうか?」と言ったが、嫁さんは「いやいいで、いいで」と遠慮して店に入ろうとしない。違うのだ。そのかき氷を食べたいのはむしろ僕の方なのだ。とても喉が渇いているのだ。500円のアイスコーヒーを一気飲みしたいと思うほどに。嫁さんがかき氷を食べたくて、僕がそれに付き合うと言う図式はしかし、すでに逆転してしまっているんだぜ。「入ろうか」「いや悪いしいいって」の押し問答を2、3度繰り返し、店内には別のメニューもあるだろうし、もうラストオーダーの時間だからとりあえず中に入ろう、というところに強引に着陸して店に入った。

カフェは英国風のシックな作りで、僕らの他にはもう一組老夫婦がいただけだった。そしてその老夫婦の口にしていたものが件のかき氷であった。予想以上にでかい。そのデカさに気圧されたのか、ここまできて嫁さんが弱気になり始めた。なんとメニューにある、パンケーキにアイスがのっている食べ物を頼もうかと言い始めたのだ。値段は確か800円だか900円だった。待ってくれ。話が違う。僕たちはかき氷を食べるためにここに入ったのだろう。確かに別のメニューもあると言って入店したが、それは何というかつまりただの口実だ。僕はそんなもの食べたくない。そもそもパンケーキにちょろっとのアイスでは僕の喉の渇きが癒えない。僕の分け前もきっと少ない。パンケーキは絶対阻止、阻止しなければならない。そこで僕は「パン」「ケーキ」というところに目をつけた。パンでケーキというならセットで飲み物も必要だろう。まさか単品でそれだけ頼むわけにもいくまい。単品はかき氷だけに許された特権だ。
「じゃあそのパンケーキのやつと、それぞれ飲み物頼もうか?」僕の問いかけに嫁さんはえっ、と戸惑ったようになった。そう、飲み物二つとその下らないパンケーキを頼んだなら、そっちの方があの豪勢なかき氷より高くつく。
「でも飲み物も頼んだらそっちの方が高くなるな…」
よーし!そうだ、そうなんだ!よく気づいてくれた。
そこで二択になった。かき氷を一つ頼むか(1400円)、パンケーキと飲み物二つ頼むか(2000円弱)。今の僕ならその飲み物(きっとアイスコーヒー)も3秒で飲み干す自信がある。もったいない、500円が実にもったいないぞ。しかし、それでも嫁さんは答えを逡巡していた。
そうしているうちにラストオーダーの時間が迫ってきた。「……よし、せっかくだからかき氷食べよう!」僕は思い切ってパワープレイに出た。その一言で嫁さんも納得したようだった。嫁さんも押し切って欲しかったのだ。

結果、やってきたかき氷はでかさから何から我々の想像をはるかに凌駕するクオリティだった。まずでかい、花束ぐらいでかい。その質感は一口目を口に含んだ瞬間溶けてなくなるほどふわふわで、食べ切れるかどうかという不安はそこで無くなった。かき氷は何層かになっており、表面は赤ブドウのソース(シロップではなくソースと書かれていた)とロイヤルミルクティソースがかかっている。掘っていくと紅茶のムース、そしてさらに中からは白ワインのプルプルしたもの(ジュレ)が出てきた。落ち着いた見た目とは裏腹にとんでもなくゴージャスな味わいで、喉が渇いていたこともあって我々はあっという間に1400円を食べ尽くして(飲み干して)しまった。特に白ワインのプルプルしたやつが暴力的なほどうまかった。

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とても美味しかった。上に乗ってる物体は何か思い出せない。お口直しの紅茶もついてきた。

喉の渇きも癒えて、さあいよいよ帰ろうと駐車場に向かうと、消毒と体温検査を行った一つ目のゲートに長蛇の列ができていた。どうやら皆、ローザンベリーの夜の部に入る人のようだ。失礼ではあるが、こんなところに夜でも人が集まるのかと驚いた。まだまだ車がひっきりなしに入ってくる。父の作品の展示があるということで初めて知ったが、実は人気のスポットだったのか。柵の外から見るガーデン内はイルミネーションが灯り、昼間とは全然違う場所に思えた。あのあまり役に立たない列車にもイルミネーションが施され、ずいぶん楽しげな様子だった。園の外からは見えないが頂上、ショーンの丘や教会に模した結婚式場も素敵に彩られていることだろう。

車を出すとすぐに夕闇がやってきた。
駐車場を出るときに見た夕焼けの名残りを残した鉛色の空が美しかった。