ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

「伊勢神宮」2020.3.9

おいしい食べ物とお酒があれば大抵最高になる。

3月9日は僕たちが旅行に出かける日にしては珍しくめちゃくちゃ晴れていた。
割に早起きした我々二人は近鉄大阪線の急行で伊勢市まで向かった。車中でトルティーヤとサンドイッチを食べる。
近鉄大阪線はどこまでも知らないところを走ってくれる気がして幼い頃から好きだった。河内のつむじ風と呼ばれた母方のばあちゃんが生きてた時はよく赤目四十八滝や榊原温泉に連れて行ってもらっていた。煎茶の稽古を無理やりやらされていたごほうびだったのだろうか。
僕は孫の中でもやたら気に入られていて、それは僕が早くして亡くなった祖父にそっくりだったからではないかと思うが、あるいは僕はあまりしゃべらず、ボーッとして反抗することを知らないような子供だったから単に扱いやすかっただけなのかもしれない。夜明けのあんどんとは僕が幼い頃叔母につけられたあだ名である。


伊勢市に着くまでに2019年度を勤め上げた学校から何度も電話がかかってきた。旅行の最中に物憂い電話だ。12時前に伊勢市に着いて、外宮まで歩く途中こちらから電話しようとしたところ再びかかってきたので出てみると教頭からだった。来年度も我が校でいかがですか、とつまりは非常勤講師のお願いだったがお断りさせて頂いた。
既に他の高校から連絡があり、時間数、科目含め内容が詳しく決まっていたので来年度はそちらの高校に勤めることを決めていた。また機会があればよろしくお願いしますと伝えて電話を切る。しかし次の機会のある前にその学校は潰れているかもしれない、と少し思った。

伊勢神宮には何度か行ったことがあるが外宮にお参りするのは初めてだった。「外」という言葉からなんとなく内宮よりも大きいのかと思っていたがそんなことはなくこじんまりとした印象だった。外宮の神様は食べ物の神様だと言うので、食べ物の神様であるウケモチ(外宮の神様と同じなのかな?)とアマテラスとツクヨミのすったもんだの話など嫁さんにしながら外宮を歩く。
途中銀髪、化粧、高下駄、着流し、番傘という奇妙な格好をした男とそれ相応の奇妙な格好をした女性のカップルを見た。銀魂のファンだろうか。どのような格好をしようが個人の自由であるが、伊勢神宮に銀魂のコスプレはムードが台無しになる気がしてあまり心地よいものではなかった。
その後バスで内宮へ。バスの中で今度は友人から電話があり、バスを降りてから折り返すと、すなわち一昨日投稿した『友人から頼まれた仕事』のまさにその仕事を頼まれた。嫁さんが「初めての漫画の仕事やなあ」と僕より嬉しそうにしていて、僕も嬉しくなった。
yoakenoandon.hatenablog.com


お腹が減ったと嫁さんが言うので内宮にお参りする前に何かお腹に入れることにした。いつだったか空腹の状態でお参りするのはあまりよろしくないと聞いたことがある。飢餓の神さんがつくとかなんとか。
しかしそんなことはどっちでも良くて、お腹が空いてると疲れやすいし、イライラするし、広い内宮を歩いていてもきっと楽しい気分にならない。
我々は内宮前のメインストリート(僕も嫁さんもその大通りをおかげ横丁だと思っていた)にあるお店に入り、伊勢うどんと手こね寿司を注文した。僕は伊勢うどんを食べるのは初めてで、うどんは太いが柔らかく、お出汁も真っ黒だったが関東風にしょっぱいと言うよりは甘い味付けだった。

内宮の駐車場は満車のようだったが、コロナの影響だろうか、以前来た時と比べると人がすごく少なくて、ゆったりと歩くことができた。大学生が多いように感じた。
内宮に入る橋の近くでは犬がえぐいぐらいギャン泣きしていた。飼い主は犬をほったらかしてお参りしているのだろうか。帰るときには犬の声は聞こえなくなっていた。

内宮のお社の前では警備員さんが「端の方からでもお参りできます、お賽銭も入れられます」とまるで仕掛けの壊れた人形のように力なく、オートマチックに繰り返していたので皆真ん中に並ぶ中僕と嫁さんは端の方から参拝した。
その後訪れた別宮へ渡る前の橋の上が内宮で最も美しいと感じる場所だった。

スギやヒノキやケヤキやトチやホオやサカキや、色んな植物の話をしながら内宮を嫁さんと歩いた。嫁さんは器を扱う仕事を始めてから随分植物に詳しくなった。
僕の父はずっと植物に関わる仕事をしてきて、父と散歩をしたりどこかへ出かける度植物の話ばかり聞かされてきたように思うが、ガキの頃はそんな話てんで聞いておらず、最近になってやっと少し興味がわくようになった。人と植物の様々な関わりがとても面白いと思う。
特に日本はヨーロッパやアメリカの植物学者が絶望するほど植生が豊かで、どちらかと言うと自然を分離するよりは自然と一体感を持って共生するように生活してきたので植物の利用や信仰や考え方に実に雑多なものがある。
こんなクソつまらん本読めるか、と20代の頃思ってた民俗学の本も近頃は興味深く読めるようになった。不思議なものだと思う。植物のことを知れば知るほど日々感じることが多くなる。いや、それは植物は関係なく年齢のせいなのか。


そうして内宮を出て、いよいよこの旅のメインイベント「食べ歩き」が始まった。内宮前の大通りを何から食べようかとワクワクしながら歩く。内宮を出てすぐのところではネコに会った。かわいいネコで屋台を出たり入ったり店の人を催促してどこかに連れて行ったりしていた。
嫁さんが随分前に内宮に来たときに、おかげ横丁の端の方にある店で大あさりの醤油焼きを間違いなく食べたと言うのでとりあえずそれを目当てに歩く。天ぷらやらカキフライやら松阪牛やら、魅惑的なものがズラリと並んでいる。途中赤福の本店のところでおかげ横丁の入り口を見つけた我々二人は今歩いていた大通りがおかげ横丁ではなかったことにそこで初めて気づいた。確かにどう考えても「横丁」ではない。嫁さんはそれまで本当のおかげ横丁には入ったことがなかったようだ。

おかげ横丁はご飯屋さんが多く、食べ歩きできるようなものはそれほど売っていなかった。とりあえず小腹が空いていたしビールが飲みたくて仕方なかったので、適当な露店で牛串とビールをセットで頼み藤棚のような場所でゆっくりと食べた。
おかげ横丁はそれだけで出て大通りに戻り、当初の目的である嫁さんがかつて食べた大あさりの店を探す。しかし、大通りを内宮とは逆方向に行けども行けども海鮮の店は見当たらず、露店も少なくなってきて、おまけに大通りの終点も見え始めた。もしかしたら潰れてしまったのかもしれないと嫁さんも言うので、とりあえず見えている範囲で一番端にある明かりのついている店までいってなければ引き返すことにした。

そうしてその明かりがついている店まで来てみると、そここそがかつて嫁さんが大あさりの醤油焼きを食べたまさにそのお店だった。本当に大通りの端にあるお店だった。
大あさりの醤油焼きも嫁さんの言うとおりメニューにあって、しかも結構安い。焼きカキやらアワビやら普段食べられないものを頼みまくり、日本酒とビールも頼んで一気に楽しくなった僕達は「伊勢神宮は最高や!」を連呼するようになる。つまり、旅行というものは美味しい食べものと酒さえあれば、それで十分最高なのだと悟ったような気になった。

そのお店を出てから大通りを内宮方面に戻りつつ、MAXテンションのままだんごにイカのペンペン焼きにハイボールにソフトクリームに、食べ歩きを思い切り満喫した。途中酒樽の上で寝そべるネコの写真を撮り、ヒヨドリっぽい鳥の写真も撮った。天ぷらもいきたいところではあったがさすがにお腹がいっぱいだった。

イソヒヨドリ?

バスで宇治山田駅まで戻り、本当は湯につかりたいところだったが、少し酔っ払って楽しくなりすぎた我々二人は風呂屋を探すのが面倒になってしまい、そのまま近鉄に乗って帰ることにした。

帰りの電車はほとんど寝ていて、榊原温泉口で目が覚めるともうあたりは真っ暗だった。少しばあちゃんのことを思い出した。