ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

やっぱり週一で投稿すっか

先週書いた日記が「きょうのはてなブログ」に取り上げられた。いつもこのブログには1日に10人とか20人ぐらいしか人が来ないのに、その日は朝から随分多くの人が来てくれてて、そんな大したこと書いたつもりもないのになんか変だなと思っていたら、嫁さんより「きょうのはてなブログ」に日記が取り上げられてると、スクショ付きでLINEが来た。めちゃくちゃビックリした。

マジかよ。

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はてなブログに取り上げられるのは2回目で、1回目は『2021年2月3日』を書いた時。はてな20周年記念「はてなインターネット文学賞」のはてなブログ賞を受賞した。
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この時も普段波風一つ立たない僕のTwitterにいきなり通知が来て受賞を知った。嬉しい知らせって期待している時ではなく、井上尚弥のカウンターフックのように全く予期していない時に予期していない角度から来るものなのかもしれない。
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「きょうのはてなブログ」に取り上げられた日記も、当初の予定とは全く外れた日記で、1週間の予定を書くだけの日記のはずが、あらぬ方向に行ってしまった日記だった。てんで滅茶苦茶な、取り上げられるべくもない日記だったが、唯一良かった点としては文章が短かったことか。

もともと予定を書くつもりだった、てのも今は途切れ途切れになってしまったこのブログとの繋がりをなんとか回復したいがためであった。予定を書くだけなら週1回は絶対書けるな、と思って試しにやってみたが、話はあらぬ方向に行くし、そもそも人の1週間の予定など誰も読みたくないのでは?と当たり前のことに気づいただけに終わった。

ただ、短い文章の日記を書いたことで、定常的にブログを書く「カン」みたいなものってやっぱり存在するなと思った。書かなくなるとそのカンが鈍る、というより忘れる。
まるで袖にした女のように、このブログと共にあった楽しい日々は記憶の片隅に追いやられ、放埒な日々が始まる。と言ってここを完全に忘れたわけではなく、どこかでいつか書かなければと心にひっかかりは残っている。それで、そのいつかは必ず来て何かを書こうとするのだが、うまくペンが走らぬ。途中でやめてしまったり、そもそも何を書けばいいのかわからず、スタートできないこともある。久々に書くのだから、と気負いすぎてしまうのだろう。まるで振られた元カノに久々に会う男のように。

つまりカンを忘れてしまうというのは、何かを書きたい気持ちはあるのに、それを楽に抽出することができない状態、と言っていいのかもしれない。楽な気持ちで文章を書くためにもここには週一程度何かを書いていた方がきっと良い。毎回ホームランを飛ばさなくていい。誰にもそんなことはできない。凡打でいい。生きているということが分かれば、それこそ予定を書くのでも何でもいい。

それと先週1週間の予定を書いてみての結果だが、これではダメだと思った。結局予定していたことは40%ほどしか消化できなかった。強制されない目標の達成率とは常にそのようなものであるかもしれない。いつもなら予定の方がハード過ぎたのだともっとタスクを減らして余裕を持たせるところだが、今は状況が違う。9/15〆切の小学館新人コミック大賞に何としても漫画を出したい。1週の予定を立てるだけではまだまだぼんやりしていて、今日これとこれを「絶対にやる」という意識が必要だ。それがなければ僕はどこまでも楽な方に流されてしまう。

先週立てた予定の中で唯一、嫁さんにiPad(クリスタ)での漫画のトーンとベタを載せる方法を伝え、今描いている漫画の1ページ目を完成させる、というものだけはうまくいった。

ちょっと教えただけで嫁さんはすぐにiPadでのベタとトーンの要領を飲み込んでしまい、実に自由に漫画に「色」をつけ始めた。そう、トーンとベタの作業はつまるところ漫画に色を付けていくことだと、楽しそうに作業をする嫁さんを見て僕は初めて知った。1ページ目は一昨日の月曜日に完成し、しかも僕が思っていた2億倍素晴らしい仕上がりになった。これならいける、と思った。

こんなん絶対いけてしまうやん?

はてなブログ賞を頂いた時もそうだが、結局賞に応募するだとか、持ち込みをするだとか、正当な道のりを経ないことには自分の作品を世の人に知ってもらうのは難しい。土俵に上がりますと宣言しないことには誰も見てくれない。ただ待って、誰か見つけてくれと願っているだけでは。

ということ最後にはてなブログ賞を頂いた日記を載せときます。子供が生まれた時の日記です。
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