ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

モンゴル8日目(モンゴル日記final)

朝8時、IKH KOHRUMホテルで目を覚ますと少し体がだるかった。何か様子がおかしい。

朝食を食べに1階に降り、モンゴルのキャンプ責任者(Mさん)とうちの親方と勤めてる会社の代表と4人で席に着いた。

カラコルムには今回のモンゴルキャンプの視察に来ていた内モンゴルの教育関係者も同行していた。モンゴル教育界の先駆者であるMさんに話を聞くためわざわざキャンプ地からカラコルムまで500kmの距離をレンタカーでやって来たのだ。すごい根性だなと思ったが、Mさんは忙しすぎる方で、ゆっくり話のできる時間などほとんどないので、そうする他方法がないようだった。

その内モンゴルの方は幼稚園教育で一定の成功を収めたが、この先内モンゴルには未来が無いと感じ、わざわざモンゴルまで、それもカラコルムまで希望を求めてMさんに話を聞きに来たのだった。内モンゴルでは中国側の締め付けが段々と厳しくなり、現在はモンゴル語をレストランなどで話していると通報されるまでになっているらしい。未来も見えなくなろう。
そういえば何年か前、内モンゴルでモンゴル語の教科書が廃止され、全て中国語に書き換えられたものが使われるようになった時、大阪でモンゴルの方々がデモ行進を行なっていた。状況はその時よりはるかに悪化している。

朝ごはんを食べている間も体のだるさは感じていたが、次第に腰まで痛くなってきた。疲れが出ているだけだろうと思い、Mさんが内モンゴルの方と長い話し合いに入ったタイミングで離席し、チェックアウトまでしばし休ませてもらうことにする。

チェックアウトは11時。ホテルを出発した我々はカラコルムで行われるフェルト作りのお祭りに向かった。少し寝たものの体調は依然回復せず、むしろますます熱っぽさが増している。が、それを皆に伝えたところでこの地の果てのような場所ではどうすることもできず、どのみち車に7、8時間揺られてウランバートルに戻らなければならないのだからと、とりあえずフェルトのお祭りを見終わるまでは何も言うまいと心に決めた。この時はまだ元気だった。

我々を乗せたトヨタのランドクルーザーは途中からアスファルトの道を外れ、大草原のど真ん中を走り始めた。昨日雨が随分降った影響でところどころ川ができており、プリウスがあちこちで立ち往生していた。そんな中をランクルはまるで雑魚を蹴散らすようにして川の中に鼻づらを突っ込んでいく。この時僕は「ランドクルーザー」の意味と、この車の役割をはっきりと認識した。どんどん泥だらけになっていくランクルの姿に、僕が住んでいる湘南で大量に見られるピカピカのJEEPを「無用の長物」と思ってしまったのも無理はなかろう。

前を行く、同行者を乗せたランクル。

20車線以上ある草原の道を100km/h超で飛ばし、泥だらけの谷を渡る中でヤクの群れを見た。これでモンゴル5大家畜のすべてを見たことになる。

ヤクの群れ。気性が荒いらしくあまり近づいてはいけない。その乳は脂肪分が多くモンゴルの人はヤクの乳をより好む。

フェルトのお祭りはどこかの街の中で行われるものだと思ってたが、その会場は草原のど真ん中だった。このあたり実にモンゴルである。会場にはいくつかゲルが建ち、音楽が流れ、鷹が1匹優雅に宙を舞っていた。

お祭り会場。

ほうぼうの遊牧民がそのお祭りに集っているようで、遊牧民の子供や青年の姿も見られた。その遊牧民の顔を見た瞬間、僕は3週間のモンゴル生活で一番の衝撃を受けた。

集う遊牧民たち。

なんと豊かでrichで幸せそうな顔であろう。僕はその顔を何一つ欠落していない、完璧に充足した顔だと感じた。日本でこのような顔にお目にかかれることはめったにない。その顔から僕は人間の豊かさとは何だろうかと、幸せとはどういうことだろうかと考えざるを得なくなった。人間が根源的に幸せを感じるために必要なことは何なのだろうかと。

お金をたくさん得られればいい、名声をたくさんかき集められれば、勉強して他人との競争に勝てば、それで幸せになれる。直接的に、間接的に日本の現代の教育ではこのように子供に伝えているように思う。
しかし、そんなものを何一つ持たないモンゴルの子供や青年がこのように幸せな顔をしているのは一体どうしたことか。その顔からは「自我」のようなものすら感じられない。自然と一体化しているような印象を受ける。

富や名声は自らの外側にあるものだ。それらは自我を空虚に膨張させる。幸せは果たして自我の膨張の先にあるのか。
インスタやTwitterでバズり、Youtubeのチャンネル登録者数が1億人を突破し、たくさんのお金を得て、皆からすごいすごいとほめそやされ、ここにいる本当の自らは何一つ変わってはいないのに、己が何かすごいものになったかのような錯覚(虚栄心)を得る。そのように膨張した自らの先(自らの外側)に幸せがあると思った人間はさらにお金を、名声を求める。しかし、膨張した自らの外側にあるもの、それは虚無の砂漠ではないのか。たくさんのお金、名声を手に入れて、それが一体何なのだ。誰が一体幸せなんだ。自らの膨張を目指す人間こそ、常に不足し続け、常に不満足で不幸せではないか。

違う。幸せとは自らの外側にあるのではない。自らの内側にあるものだ。モンゴルの遊牧民は矢印が逆を向いている。自らの内に内に向いている。外の誰かと比較することもない。比較する誰かがいないし、そんなことをしたところで無意味だとわかっている。膨張させ、誇示するための自我を持ち合わせていない。彼らの顔から自我が感じられないのはそのためだ。
そもそも自然とともにある、家族とともにあるだけでもう既に幸せなのだ。今ある生活が幸せの根源なのだ。これ以上何も必要ではない。求めるものはない。充足してしまっている。「足るを知って」いる。僕はそういう人間をモンゴルで大量に見た。だから彼らは遊牧生活をやめようとはしない。遊牧生活の外に彼らの幸せなどあろうはずもないのだから。

もう一つ、幸せを得るために、お金は必ずしも必要ではない。名声も必ずしも必要ではない。しかし、自然は必ず必要だとも思った。他のものをどれだけ手に入れようと、自然を手にしていなければ人間は根源的に幸せになれない。コンクリートで仕切られた囲いの中だけで、人は一生を過ごすことはできない。人間とて自然の一部なのだ。
物質生活とかかわりを持たず、何千年と続けられた馬と草原との生活を続ける遊牧民の姿、何よりその豊かで充足した顔から、人間の幸せのために最も必要なことを僕は教わった。
上記二つがモンゴルで一番強烈に感じたことだった。


フェルトのお祭りでは子供たちによる競馬が行われ、フェルト作りが始まり、モンゴル相撲が執り行われた。その馬上での子供たちの顔も素晴らしいものだった。

競馬に出場する、裸馬に乗る遊牧民の子供。

合間には小雨が降り、露しのぎにゲルの中で馬乳酒をいただいた(全てサービス)。馬乳酒はこの夏の時期が一番おいしく、この時期にしか飲めないものだとここで聞いた。馬乳酒の時期が過ぎたあと、その入れ物である牛の皮の袋は「洗わずに」たたんでしまわれる。袋の中に馬乳を発酵させるための菌(多分乳酸菌)がついているからだ。その馬乳酒は大変酸っぱく、清冽な味だった。

ゲルの中では馬乳酒、チーズ、牛乳の湯葉、キャンディがサービスで振舞われた。
馬乳酒を入れた牛の皮袋。

ゲルを覆っている白い布のようなものは実はフェルトで(それもこのお祭りまで知らなかった)、ゆえにフェルト作りは非常に重要な行事で、皆で寄ってたかって一枚の大きなフェルトを作るのだった。

大量の羊毛を広げて水をまく。
くるくる巻いてしっかりとめる。
丸めた羊毛のシートを馬に何時間もひかせる。そしてフェルトはできる。

モンゴル相撲も初めて見て、これは相撲と言うよりは柔道やレスリングに近いものだと思った。相撲であればはっけよいのこった、でお互いにぶつかり合うがモンゴル相撲にはそれがない。戦前の舞いの後試合がおもむろに始まるのだが、まずお互いに距離を取り、けん制し合い、相手の体をつかむために非常に長い時間がかかる。長ければ5分以上かかる。そこで見てる側は飽きる。大阪人的なせっかちな感覚では「はよせーや」となる。そして見るのをやめる。お互いの腰も引けていて、相撲のような正々堂々、といった感じがない。なんとなく地味である。モンゴルで日本の相撲が人気(モンゴルでテレビ放送も行われている)なのも、決着までのスピード感やそのドーンとした迫力が理由なのかな、と思った。

あと御年80歳になるうちの親方(僕の実父)がどうしてもモンゴル相撲がとりたい、飛び入りで参加したいというのを止めるのがめんどくさかった。いや、それを止めるのがめんどくさいというよりは、個人的には出場させてあげたかったが、僕の勤める会社の代表がケガしたら大変というのと、カラコルムの博物館に行く時間がなくなってしまうから、という理由で親方を止めたのがめんどくさかった。本人が出たいって言ってんだから出させてあげればいいじゃん。モンゴルのMさんも飛び入りでも参加できます、ってノリノリだったのに。勝つにせよ負けるにせよケガするにせよ、親父の最後かもしれない雄姿を見るチャンスだったのに。それにきっと出てれば勝ってたよ。

フェルトのお祭りには3、4時間滞在した。僕としてはもうウランバートルに戻ってほしかったが、先に言ったようにうちの会社の代表がカラコルムの博物館にどうしても行きたいというので、我々は日本政府の無償援助により設立されたカラコルム博物館に向かった。

カラコルム博物館。

博物館はこじんまりとしたもので、日本の援助でできたために日本語の字幕がついているのが印象的だった。博物館を見学後、学校での授業のため少し資料を買い、近くにあるエルデネゾー寺院を訪れた。
その段階でかなり熱が出ていると思われ(体温計が無いのでわからないが体感38℃以上はあると思った)、広い寺院内を歩いて回るのはきついと思われたので親方に少し休んでいると伝えたが、やたらと心配し始めたので面倒くさくなり、やっぱり大丈夫といきなり前言撤回して寺院内を見て回ることにした。

エルデネゾー寺院。
その中。広い。

寺院はチベット仏教系の寺院で、日本で言うと密教の源泉にあたるような寺院であった。その中に飾られている絵や掛け軸は強烈で、見るだけで何が言いたいのか一発でわかり、密教の妖しさを伝えるには十分すぎるものだった。

モロですやん。

理趣教のこともここで知った。その教えの大元を正しいと思ったかどうか。一理あるとは思ったが、憧れ続けたものを手に入れた先にある虚無をどうするのかと、先のフェルトのお祭りで思ったのと同じようなことを思った。虚無を手にしないと人間は幸せになれないと言うのなら、それもまた違うと思った。
とかく熱に浮かされていてこのあたりから記憶が曖昧になる。

エルデネゾー寺院を出たあと、昼ごはんを食べていなかった我々は遅めの昼食を取った。が、ここではもうおかゆしか食べられなかった。

ウランバートルまでの7時間、ランクルの後部座席で親父がそのクマみたいな身を縮め、僕が横になれるようにスペースを開けてくれた。僕が親父のバッグを枕に横になると、親父は僕の額に手のひらに当て、「38℃はあるなあ」と言った。その時僕の体感では39℃を超えていると思っていた。

覚えている限り車内ではエルデネゾー寺院の、特にそこに飾られている絵の話になり、おしっこやウンコをしている時、SEXをしている時、人は余計なことを考えない。その状態が良いのか悪いのか、とにかく無や悟りとそれは近いものと考えられたのだろうと、そんな話だった。
高熱に浮かされている時もそれに近いなあ、と菜の花畑に落とす雲の影の形を見ながらそう思った。

熱でより美しく見えた菜畑。

親父は時折そのグローブよりごつい手で横になる僕の頭を撫でてくれたが、僕も2歳の息子に対して同じようなことをしていて、親の気持ちとは子が何歳になっても変わらぬものなのかと思った。同時に僕が幼い頃、慢性鼻炎だった僕の鼻を親父が寝る前に必ずさすってほぐしてくれたことを思い出した。子供の頃は鼻をさすられるのが嫌だったが(親父の手はあまりにごつく、痛い)、しかしそれは最も幸せな瞬間の一つだったんだな、と熱にまどろみながらそう思った。

バイルラー、モンゴル。