ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

小さな、細切れの時間の使い方

時間を大きな時間と小さな時間に分ける。仕事や食事は大きな時間。通勤や休憩は小さな時間。
大ざっぱに言えば何か「予定」があれば大きな時間、予定と予定の「合間」が小さな細切れの時間。

僕はその小さな時間のほとんどをスマホの閲覧に費やしていた。細切れであるために重要視していなかった。

しかし、最近考えを改めた。一日というのは、ほとんどが「合間」で出来ているのでは?
「合間」はことあるごとにしょっちゅう出てくる。一日は「合間」だらけだ。
一日において支配的なのはむしろ「合間」である小さな細切れの時間だと考えるようになった。

それからスマホの閲覧に小さな時間を使わず、大きな時間をしっかり使うようにした。
二時間でも三時間でもいい、大きな枠で時間を取り、そこで集中してスマホを見るようにした。調べたいことも、見たい動画も昼間にメモを取っておいてその枠内で集中して見るようにした。
スマホ枠は夜に取ることにした。その枠以外でどうしても調べたいことがある時にはパソコンで調べるようにした。

そうしたところ、枠を取っているはずの夜にもそれほどスマホを見なくなった。
結局のところ早急にスマホで調べなければならないものも、見なければならないものも僕には無かったのだ。
ただ、手持ち無沙汰だからスマホを触っていただけだ。それだけだった。そうして、入力に対する素早い反応が引き起こす中毒症状の連続で、一日を支配する時間のほとんどを消費していただけだった。

小さな細切れの時間は、今はボーっとするか、眠るかのどちらかになった。
それが良いことなのかどうか分からない。なんじゃそりゃ、とも思う。
だけど少なからず、自由でゆっくりとした心地ではある。

やりたいことの「我慢」も久々にした。それは良いことであったと思う。我慢があるから集中と放出が報われるのだ。
求めるものがすぐに手に入ってしまっては、欲求不満はさらに助長されるだけだ。