ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

横山光輝先生の思い出

小学生の時、引っ越しをした。山裾の田舎の方に住んでいたのが下町の少しゴチャゴチャとしたところに移ることになったのだ。小学4年生の時だった。
引っ越し先の街は随分狭苦しく、人間も少し違うようだと幼心に思ったことを覚えている。山も田んぼも見えないのは、それまでそういうものに囲まれて育ってきた僕には精神的にプレッシャーだった。まさかそこにその後20年以上も住むことになるとは当時は思っていなかった。

言葉遣いや子ども、先生の様子も違っていた。同じ都道府県内での引っ越しなのに山裾の牧歌的な学校とは違って、皆の言葉遣いはどこか荒く感じられ、小学4年にして髪の毛を染めてる子もチラホラいた。引っ越した小学4年の最初から小学6年までずっと同じ担任の先生に受け持ってもらったように思う。
それまで見たことのない、ものすごい暴力教師だった。

僕らが小学生の頃は先生が児童生徒を殴るのは普通のことだった。にしてもその先生は度を越していた。児童の顔をグーで殴ることはしなかったが、髪の毛をつかんで引っ張り回したり、頭を持って机にガンガンと顔を叩きつけたり、給食台に思い切り投げつけたり。中でも教室の隅、掃除用具入れの前に追い詰め、逃げ場を無くしてからの真空飛び膝蹴は僕たちの間で「マグマ」と呼ばれ、恐怖の象徴だった。暴力が暴力をエスカレートさせるような感じで、一旦殴られ始めるとその先生の気が済むまで殴られる以外に方法が無かった。

今考えてみても無茶苦茶な先生だったのたが、一つだけその先生の好きなところが僕にはあった。それは横山光輝先生の漫画を教室に置いてくれたことだ。他の教室になかったことを考えると多分その先生の個人の持ち物だったのだと思う。『項羽と劉邦』を何気なく読み始めた僕はあまりの面白さに、休み時間になると夢中になって読むようになった。横山光輝先生の本を好んで読むような児童は他にあまりいなかったのでほぼ独占状態だった。何度も何度も繰り返し読んだ。しまいに横山光輝先生の本はボロボロになってしまったが、担任の先生は何も言わなかった。恐ろしい先生なのになぜ漫画を教室に置いてくれたのか、休み時間漫画をずっと読んでてもなぜ怒らないのか、自分の本なのに僕らにボロボロにされてなぜ何も言わないのか、とても不思議だった。もしかすると先生も読んで欲しいと思っていたのかもしれない。

横山光輝先生の漫画を読んでいる時だけは、勉強のことも、恐ろしい先生のことも、嫌いな学校にいることさえ忘れることができた。あのどこまでも自由を吸い込めるような瞬間が僕は好きだった。

横山光輝先生の漫画を教室に置いてくれた、ただその一点だけで担任の先生のことは今でも嫌いになれない。たとえ他にどれだけ嫌な思い出があろうとも。

時々、教育とはあのような「自由な場」を子どもたちに提供することではないのかと考えたりする。誰に何を強制されることもなく、教えられることもなく、自由に好きなだけ自分の好きなことに打ち込める場。厳密にはその場が現出するのは休み時間と放課後だけだったが、僕にはあの『項羽と劉邦』を読んでた瞬間を追い求めているようなところが今でもある。教室の本棚には『項羽と劉邦』が置かれてあり、電灯のついていない薄暗い教室に夕暮れの光が数本差し込んでいる。僕の他には誰もいない。そんな光景を今でも懐かしく思い出す。

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Bookoffなるヴァルハラにて横山光輝先生の『三国志』全60巻+付録2巻のセットが9000円ほどで売られていたので速攻で買った。兵は神速を尊ぶ。イラストは三国志は蜀の関羽。死後神になった男。愛をこめて描いた。