ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

北海道の記憶

すみません、21時更新のつもりが今までの習慣で18時更新になってました。以下本当は21時に投稿する予定だったものです。絵つけるつもりだったのに、しまったなぁ…。



寒くなってくるといつも北海道のことを思い出す。


2015年12月~2016年3月の冬の期間、僕は北海道にいた。背骨を折り、失職し、家を失った僕は北海道に諸々の希望を託して自動車ごと舞鶴からフェリーで北海道に渡った。義姉に紹介してもらった冬の間の仕事を頼りに。

小樽に着いた時、早朝だったか深夜だったか忘れたが、夜の暗さが違うと思った。もう太陽が上がってこないかのような、そんな気分にさせる暗さだった。雪はたくさん積もっていたが、ところどころ溶けて土と混じり合っていた。

北海道は思っていたほど寒くはなかった。雪のせいだろうか。吹雪の時以外は、妙な言い回しになるが暖かみのある寒さだった。

仕事はざっくりいうと1メートルぐらいあるバカでかい原氷(135kg)をひたすら運び、積んでいくという純粋な肉体労働だった。

仕事がきつくなかったと言えば嘘になる。肉体的には僕は頑丈な方なので、折れた背骨も問題なく働くことができた。しかし精神的にはかなりきつかった。見知らぬ地で、見知らぬ人の間でもまれながら一緒にメシを食べ、働き、飲み、寝るのは割と気を使う性質の僕には相当なストレスだった。夜はたこ部屋で皆あばら骨みたいになって寝た。

それでも、一緒に仕事をした人たちが社長を含め皆面白い人だったのは救いだった。素人の僕みたいなのが入ってきてさぞかし迷惑だったに違いないのにとても良くしてくれた。


北海道で暮らすこともあるいはできるかもしれないと、渡る前は思っていたがとんでもない話だった。ここは僕が生活するという条件から最も離れた場所だと思った。結局北海道から帰り、僕は兄のいた京都で生活することになる。
期間中風邪など引かなかったのに、仕事が終わったその日に高熱が出た。そしてその熱は一日で治まった。


僕は仕事が休みになると北海道の原野をよく自動車で走った。誰もいない、誰も知らないところに行きたかった。

それは白と黒と灰色の世界。奇妙なまでに静かで、寂しさを感じるにはあまりに寂しすぎるぐらい何も無く、ただただ無機質な雪と闇が当たりさわりなくじっと僕を見つめている。

その記憶だけが、鮮明に、ヒリヒリするぐらいに僕の心に焼き付いている。

僕の北海道の記憶。