近頃街中でアップルの新しいイヤホンをしている人をよく見かける。あの白くて線の出ていない奴だ。
僕だけかもしれないがあのイヤホンを見る度「耳から何か出てますよ」と注意したくなる。余計なお世話だ。それは分かってる。でも注意したくなる。だって何か出てるんだもの。
一体あのイヤホンの何が「何か出てる感」もとい「はみ出てる感」を増幅させているのだろうか。はみ出ていることは大体良くないことだ。時に枠に収まらない奴、ということですごいことの例えに使われたりするが、やっぱりはみ出てない方がいい。僕ははみ出てない方が好きだ。はみ出たものは気になるし注意したくなるし修正したくなる。あのイヤホンのはみ出てる感について今日少し考えた。
線が出てないのがいけないのだろうか。いや、それだと他にも線のないイヤホンはある。Sonyの宇多田ヒカルがモデルになってるワイヤレスイヤホンなんかは近未来のアクセサリーみたいでカッコいいじゃないか。真っ正面から見たときはちょっとキノコみたいに出ているなと思ってしまうけど、アップルのイヤホンは全方位からはみ出ているように見える。つまり線の問題ではない。
じゃあ色だろうか。あれが黒くなったら気にならなくなるんだろうか。
う、うーん、絵で描くとなんだかよくわからない。少しマシになったような気もするが…
ともあれやっぱり最終的には形の問題に行き着くのだろう。時々線つきのイヤホンを耳の上部にひっかけながら友だちと話をしてる高校生を見かけるが、あれを見たときと同じ感覚をアップルのワイヤレスイヤホンからは感じる。ざっくり言うと「いきってる」ような感じを受けてしまうのだ。
そしてそのいきってる感を誘発しているのはイヤホンの棒の部分だろう。
あの棒のいきり具合が僕には気に食わない。棒のくせにいきりやがって。そう思ってしまう。
果たしていきってるからはみ出てる感が出るのか、それともはみ出てるからいきってる感が出るのか。罪を憎んで人を憎まず、棒を憎んで人を憎まず……
そんなことを考えていたら今日電車の中ですごいワイヤレスイヤホンをしているおじさんを見た。耳から直角にとんでもない長さのオレンジのモノが出ている。近頃はあんなイヤホンがあるのか、と度肝を抜かれたがよく観察してみればそれは耳栓だった。
なんだ耳栓か、とホッとしたのもつかの間、それはそれでおかしいことにはたと気がついた。何故街のど真ん中で耳栓をしているのだろう。寝るときにしていてそのまま気付かずにつけっぱなしになっているのだろうか。それともあのおじさんは心に闇を抱えていて、もう何も聞きたくなくなってしまったんだろうか。
いや逆もあり得る。「何も言わずともよい。我は全てを解している。捧げよ……」そこまでイってしまったのかもしれない。
いや……はみ出すぎではあるが、もしかしたら本当にあれはイヤホンだったのかもしれない。
ワイヤレスイヤホンの闇は深い。