ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

バスケ部の追憶

僕は中学の時バスケ部だった。バスケ自体は小学校からやっていて、背も高い方だった。
中学に入るとバスケマンガの金字塔『スラムダンク』の連載が始まり、にわかにバスケ熱が高まった。その熱波に乗って僕らは新人戦の地区大会で優勝した。今思えば割に才能あるメンバーが揃っていたのに、その後は泣かず飛ばずで終わった。僕自体のやる気も2年後半から急速に落ちていった気がする。

一番の原因は顧問と決定的に仲が悪かったことだった。人間的に全然ウマが合わなかった。熱く衝突するならまだしも、僕は顧問には冷めた態度を取り続けた。
顧問から「そんなにやる気無いならやめるか、ああん!?」と言い寄られた時も何も言わなかった。何も言わなかったけど本当は「じゃあやめます」と言いたかった。

バスケ自体は好きだった。だけど次第に土日の練習をサボるようになった。練習をサボってその時間、近所の公園で普段の練習よりハードな自主練をしてたのだ。わけがわからん。部活行けよと思うが、とにかく顧問と顧問の醸し出すあの強制労働的な空気が僕は大嫌いだった。アウシュビッツかよここは。
顧問は僕をレギュラーから外すなど様々な対策を施したが、どうしようもなかった。
最後の試合はレギュラーで出場したが、負けても何も思わなかった。泣いているキャプテンを見て、終わったんだと、ただそれだけを思った。
顧問は最後に何か言ってくれたか、思い出せもしない。

別にこれを悲劇だとも何とも思わないがチームの皆、とりわけキャプテンには悪いことをしたと思っている。彼も恐らくは顧問が嫌いだったはずだが、キャプテンになってからは責任感を持って必死に僕らと顧問とをつなぎ止めようとしていた。

何故僕らの好きなバスケを、僕らの好きなようにしてはいけないのか、それだけがずっとわからなかった。今もわからない。
チームは顧問のものなのか。ぼくらのものなのか。
顧問の言いなりになって、チームが崩壊して、それでもそれなりの結果を残すのか(全然それなりではなかったが)。顧問など無視して自分たちで好きなようにやって、ボロクソの結果を残すのか。どっちがよかったのだろう。

僕は高校ではサッカー部に入った。バスケを捨てたつもりでいたが、大学に入って再び個人的にバスケを再開した。高校の時も心の底ではバスケがしたかったのだろう。結局、バスケが好きだったのだ。

口が裂けても言えないことだが、今もう一度かつてのチームの皆とバスケが出来たらさぞかし楽しいことだろう。
誰も支配しない、強制しない世界で自由にバスケをする。
中学の時それが出来たらどれだけよかっただろう。

そんなことを時々思う。

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僕のGODマイケルジョーダンを描いた。彼のように強く、高く飛べたら。何度そう思っただろう。