ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

最近考えてること

今17ページの漫画を描いている。以前から描いていた猫先生の話を新しく17ページの1本の漫画にできないかと思い立ってやり始めた。

今まで1ページものの漫画ばかり描いてきて、それはそれで僕自身も楽しかったし楽しんでくれる人も多かったからよかったのだが、1ページは1ページでしかないし、ちょろっと作っては「どうっすか?」とご機嫌を伺うスタイルが、ただ漫画に憧れてちょっかい出し続けてるだけのように思えてきて、少し嫌気がさした。
なんていうか、本当はその子のことが好きでしょうがないのに、自分に自信も勇気も無いものだから、ただその子にイタズラをしかけることしかできないションベン臭いガキに自分が思えた。

好きなら好きって言えばいいじゃないか。ちゃんと告白しないと恋は始まらない。

とかくそういうわけで中身はどんなに汚くても無茶苦茶でもいいからきちんとした形式にのっとった漫画を描きたいと思った。

なんとか17ページまでたどり着きそうな気配は見えてきたが、描く中で漫画家の作業の膨大さを思わないわけにはいかなかった。1ページの漫画を描いてた時には、1ページという制約のきつさが逆に描きやすさを与えていたのだ。1ページならコマは増やせてもせいぜい6コマまで。その中に話を詰め込めばよかった。

これが17ページになるとストーリーの構成、コマ割を考えないわけにはいかず、それだけでものすごく時間を食う。一週間やってまだいわゆるネーム(漫画の構成)が終わってない。逆にネームが終われば後は作業だから楽なのかもしれないが。

仕事も始まって思うように時間も取れない中で何とか描こうともがいている。きちんと漫画を描こうとするならはっきり言ってブログを書いてる暇がない。

それともう一つ、僕は今までこのブログで「自分」というものがどうかということを表現してきた。自分のやったこと、考えたこと、僕にそのつもりがなくてもそうなっていた。
だけども近頃そうやって「自分」を表現することにそれほど興味がなくなった。「自分」なんてどうだっていい。ただ「作品」があればいい。そう思うようになった。僕のことを知らなくても、作品を知ってくれて楽しんでくれる人がいる方がいい。そこに「自分」はいらんのだ。

それは「自分」と「作品」の比重が変わったということでもある。

だからこれからここに自分の日常が載ることは少なくなると思う。何かしら面白いことがあれば載せようと思うが、今は作品に集中したい。

この日記を書くかどうか随分迷った。しかし昨日昔なじみの先輩にたまたま会う機会があって、僕のブログを楽しく読んでくれていることを知った。なんでもその先輩は僕のブログを毎日(!)訪問してくれているらしい。大変驚いたし、嬉しかった。それでこの日記を書こうと思った。ブログのスタイルが変わることや自分の考えていることをきちんと言っておいた方がいいと思った。

きっと他にも僕のこれまでのブログを好いてくれてた人はいて、その応援はとてもありがたかったし励みになった。変わってしまうのはやっぱり寂しいけど、だけど壊さないと前に進めないということもある。


そういえば今日は、僕が去年の3月から今年の3月まで一年間ずっとブログの更新を続けてきた月曜日だ。