ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

食洗機という名の神(NP-TZ500)

昨年3月から現在までの間に購入した家電を並べてみる。

電動自転車
ドラム式洗濯機
マキタコードレス掃除機
iPhone14(嫁さん用)
iPad pro12.9インチ
Apple pencil
magic keyboard(appleのBluetoothキーボード)
テスコム(超強力ドライヤー)
brother mfc j7300(B4までスキャンできる複合機)
5人用食洗機←it's new!!

なるほど、金が貯まらないわけである。
この上タンスやら棚やら縁台やらシャワーヘッドやら、生活を整えるための家具も大量に買っている。よくマイナスになっていないなと感心するほどだ。
さらにはこの8月に食洗機を買った。Panasonicの良いやつだ。

僕がこの世から消えて欲しいと思うほど嫌いな家事がある。すなわち皿洗いだ。
毎食後必ず発生するし、少しの洗い物でも結構時間を食う。皿洗いの間、暇を持て余した子供達にまとわりつかれるとさらに精神的負荷も倍増する。なによりプラスチック容器の油汚れに相対する時、絶対にかなわない学校と対戦する羽目になった時の中学バスケ部時代の心ざわりがする。ただただ痛めつけられるだけで、僕達ができることといったら早く終わってくれと願うことのみなのである。

そのようなわけで食洗機を買うことには前々から並々ならぬ意欲があった。昨年3月、神奈川に移ってから、今住んでる家にはキッチンに食洗機用の台も備え付けであるのでこれはちょうど良いと嫁さんにも食洗機購入を打診してみたのだが、家電大好きのはずの嫁さんの反応がすこぶる悪い。嫁さんの実家にはビルトイン型の食洗機があり、食洗機経験者の嫁さんからすると食洗機を買ったところで皿洗いの負荷はそう変わらないのではないかと、ちょっと様子を見た方が良いのではないかと、そのような意見であった。

僕は食洗機に関しては素人なので、なるほどそんなものなのかとそれで納得して、食洗機に対する憧れはそこで潰えたかに見えた。
が、この4月に事態は急変する。

我々の長子が幼稚園に、次子が保育園に通うことになったのである。それに伴い弁当や水筒の準備が必要になった。
準備も大変だが、より問題なのは帰ってきてからの弁当箱、水筒、そしてそれらに内在する細々としたプラスチック製品の洗い物だ。細々としている+プラスチック製品、ということで洗い物のストレスがマッハの域を超えてしまったのである。

また子供が成長したことにより、子供の相手をしなければどうにも収まりがつかない状況も増えた。つまり、洗い物がゆっくりできない。

それに今年の激烈な夏の暑さが加わり、さらに僕が2週間のモンゴル行直後4泊5日飯山キャンプというめちゃくちゃな仕事のスケジュールで体調を崩し、洗い物メンタルが完全なる崩壊を起こしてしまった。
ひさしぶりに……きれちまったよ……。

ひさしぶりにきれちまった我。

僕は強い眼差しで嫁さんに食洗機を買う決心のついたことを伝え、嫁さんもきれちまった僕を止める理由も特になかったので、僕は猛烈な勢いで食洗機について調べ始めた。何かをやる、何かを買う、となった時の僕の行動は迅速を極める。キッチンのサイズを測り、近くの家電量販店に目ぼしい食洗機を物色しに行き、さらにこれだという食洗機の実寸のわかる紙までもらってきて、食洗機を迎え入れるのに完全なる準備を整えた。
決心→調査→購入まで1週間もかからなかった。

そうして購入した食洗機はPanasonicのNP-TZ500。これにより我々の家計収支は赤字に突入した。
が、そんなことどうでもいい。金のことは後から辻褄を合わせるから、とにかくメンタルブレイクした今の我々を救ってくれ。

我々家族の期待を一身に背負った食洗機であるが、最初その使い方に少し戸惑った。
食器を洗うシャワーの出る方向が決まっていて、シャワーにちゃんと汚れている面が当たるようにお皿を入れていかねばならない。食器を適当に入れればいいというものでもないらしい。
説明書片手に慣れない手つきで食器を食洗機に入れていく。その時僕を妙な感覚が襲った。

そう、油でヌルヌルなままの食器をそのまま食洗機に入れていく行為が、果たしてこれで良いのかと、こんなことが許されるのかと、優越感とも罪悪感とも言えない気持ちになったのである。そうして、妙な気持のまま食器を食洗機に入れ終わると、輪をかけて妙な気持ちが僕を襲った。

え…これで終わり…なの?

だって慣れない手つきで時間をかけながら家族4人分の夜ご飯の洗い物を入れたはずなのに、10分もかかっていないぜ…。子供達はいつもなら遊ぶのに飽きて洗い物をしている僕にまとわりついてくるはずなのに、あまりのスピードに僕が洗い物をしていたことすら気づいていない。こんなのウソだろ…。

ワンタッチで全部おまかせで洗ってくれる機種を買ったので(洗剤の量も自動で調節してくれる)、あとはボタンを押すだけだ。何も考えずボタンをピッと押すと食洗機は忙しく動き始めた。どうやら本当にこれで終わりらしい。

その時、僕を一つの言葉が捉えて離さなくなった。


「神」


圧倒的に神。どうしようもないぐらいに神。
食洗機の偉大さを形容するのに他の言葉が思い当たらないくらいに神。

人はありえない状況や、形容しがたいほど偉大なモノに出会した時、笑うしかなくなる。僕が20歳になる年の春、我が家が放火された。真っ黒の骨組みだけになった我が家を前に、僕と父と母は高笑いして近くにいた警察官に記念写真をお願いした。兄はその時仕事で台湾に滞在中で、兄への国際電話で母は「クレタケ(我が家の愛称)バーンナウトや、傑作やろハハハ」と言って電話を切った。

食洗機のボタンを押して洗い物が始まった時も、ありえない状況と偉大すぎる能力に勝手に笑いが出た。

そして嫁さんに「いや洗い物の労力全然ちゃうやん。ありえへんぐらい楽やん」と告げた。嫁さんも食洗機に懐疑的だった自らの態度を過ちと認め、今では友人に食洗機の素晴らしさを説いて回るまでになった。食洗機の偉大すぎる能力が彼女を翻意させた。そして実際にその素晴らしさを説かれた友人が食洗機購入に至ったらしい。

木地椀など、食洗機不可の食器ももちろんあるが、それらを手洗いで洗う時間など2分もいらぬし、食洗機のボタンを押してから手洗いを始めれば何となく食洗機さんと一緒に洗い物している気分になれて幸せだ。

食洗機を買ってからあれほど嫌で、できるだけ先延ばしにしたくて、何とかして嫁さんになすりつけようとしていた洗い物が、全く苦ではなくなった。食洗機に綺麗に食器を並べられた時など大変気持ち良いので、今はむしろこちらから洗い物をやらせてくださいとお願いするほどだ。

この感動を分かってほしくて嫁さんに負けじと僕もここで食洗機を布教する次第である。神の御力を、是非。

神の御姿。