ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

取り留めのない文

先週は出張で沖縄へ。人生で3度目の沖縄。

仕事で住んでる場所から別の場所へ行く時、それが国内だろうと海外だろうと、いつもボーッとして取り留めがない。
なんでこんなところにいるんだろうと、そのことばかり常に感じながら仕事、のようなものをしている。

沖縄で主にやったことと言えば会社の代表と毎日酒を飲んだだけだ。あとは領収書を忘れずに取っただけ。

仕事で諸々のお膳立てをすることが、楽しいと思えれば良かったが、現状何が楽しいのかわからない。
今お膳立てしたことが実際に動き始めれば楽しいと思えるようになるのかな。今までの人生経験に基づくに、あまりそうなるようには思えない。大体は道程が楽しいのであって、本番はどっちだっていいからだ。
旅も僕にとっては目的地に着くまでが楽しい。目的地はどっちだっていいのさ。

今やってる仕事、のようなものを総合するに「めんどくさい」の一言に尽きるかもしれない。心の底からこんなことはAIがやればいいと思う。そうして出る弊害など、人間が仕事、のようなものをする弊害に比べればきっと蚊ほどの影響もない。楽しくなければ意味や価値を感じることができないんだ。そして心は疲れてしまう。

このままでは良くない。これは我々が求めたものではない。求めるものが新天地ですぐに手に入るなどと思ってはいないが、今やっている仕事、のようなものがつまらなくて、それでいて肉体的には楽でもあるので、特にまずいと思ってしまう。悪意なき人に、心を食い散らかされるようであるよ。

物事はすぐには変わらない。ゆっくり何かが打ち込まれ続けて、ある時突然変わる。今回の神奈川への変転もそういうことだったと思うが、ここで妙に落ち着いてしまうと、あとはもう精神と肉体の死を待つだけになる。それはイヤだ。

僕はきっと強欲なのだろう。まだ、もっと変化がほしい。
それが成長と言えれば良いが、今や上が下に、弱が強に、悪が正になってしまっているので、何をもって成長と言うのかわからない。ただ、楽しいことを楽しいと思えるだけできる環境がほしい。
そのためにまた打ち込み続けなければならない。

そのために毎日打ち込み続けられる何かを、僕はずっと探している。