ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

東京へぷらっとこだまで行った

先々週の土、日と父との仕事の関連でパーティーがあり、東京へ行ってきた。

東京、なんと甘美な響き。若い時分からその響きに憧れ続けた。東京は今でも特別な場所だ。何があるわけでもないのに、行くたびウキウキする。機会があるなら住んでみたいとも思う。住んでみたらそうでもないのかな。いや、でも東京の西の方にはやっぱり何かある気がする。僕の太古の記憶(遺伝子?)がそれを求めているような気がするのだ。


東京へはぷらっとこだまで行った。
僕は夜行バスが苦手だ。体がデカいので足が必ず前の座席につっかえる。眠れたものではない。それでも東京に行くのに新幹線だと高くつくので、これまで3列シートの間隔のゆったりした夜行バスで東京まで行き来していたが、それだと片道8000円ぐらいかかる。あまり夜行バスの恩恵を受けている気がしない。途中何回も起きるし、東京に着いた時には3列だろうが何列だろうがやっぱりヘトヘトになっている。

そんな折、仏像と旅行が好きな社会科の同僚の先生から、ぷらっとこだまのことを教えてもらった。こだまなので4時間かかるが、1万700円で大阪から東京まで新幹線で行ける。ナニソレスゴイ。のぞみからプラス1時間半されるだけで4000円安くなる。あるいは3列シートのバスにプラス2000円ちょっと追加するだけで新幹線に乗れる。代償としてぷらっとこだまは指定席しか取れずもしその新幹線を逃すようなことがあると支払ったお金がパーになってしまう(JRの遅延の場合は何らかの措置があるみたい)。しかし、そんなもの代償とは呼べない。遅れず新幹線に乗ればいいだけのこと。1万700円で「たった」4時間で東京まで行けて、しかも1ドリンクのサービス付きだ。30を越えて初めてぷらっとこだまのことを教えてもらった時は、何かとんでもない裏技を知ってしまったような気がした。以来夜行バスを使うことは2度と無くなった。

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後ろのがドリンク引き換え券。

今回は奈良から京都に移動し、京都から新幹線に乗った。ぷらっとこだまの料金は10500円。ワンドリンクはもちろんYEBISUを選択。駅売店で売ってるもので350mlまでのビールならどれを選んでもよい。チューハイなら500mlまでOK。4時間でビール1本では足りないのは間違いないのでさらにビールと酎ハイを買い込み、お昼ご飯に鯖寿司も買って新幹線に乗り込んだ。あとは本を読もうが酒を飲もうが眠ろうが、何をするのも自由だ。

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YEBISU一択でしょう。

京都駅で買った鯖の棒寿司は期待したほどでもなかった。父がいつも新幹線を利用する時に新大阪駅で土産として買ってくる棒寿司の方がうまい。なお当時我々は大阪に住んでいたが、それにも関わらず父は土産として新大阪でその棒寿司を必ず買って帰った。妙な話だ。その父の棒寿司に比べ京都駅のはボリュームが少なく、値段も高い。それで僕は鯖の棒寿司を食べながらあの新大阪駅の鯖の棒寿司が食べたくなった。

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これが新大阪駅の鯖の棒寿司。写真は何年か前に撮ったもの。

棒寿司を食べ終わった後は酒を飲みながらトーベヤンソン(ムーミンの作者)の伝記を読みふけっていたが、そのうちに眠ってしまったらしい。気がついたら外は暗くなって東京に着いていた。4時間て一瞬すぎひん?もうちょっと長くてもよい。

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シャレオツビールとヤンソンでスカしまくった。

あぁ、東京だなあという、その実感だけで嬉しくなる。そうさ、俺は今、夜の東京に立っているのだ。
東京駅から中央線に乗り換えて西へ。大阪の中央線は地下鉄だけど、東京のは地上をずっと走る。その違いですらなんだか嬉しい。田舎もんが東京の列車に乗ってはしゃいでいると、つまりはそれだけのことだ。車内は結構混雑していてコロナ騒ぎがひと段落ついたことと、東京はやっぱり人が多いなあということを同時に思った。

国分寺西武線に乗り換え。おいおい、国分寺とか言っちゃってるけど大丈夫か。人生で2回と言ったことないぜ。
鷹の台で降りて玉川上水沿いを歩く。夜の玉川上水はあまりに暗くて不気味なのだけど、何かしら心を落ち着かせる雰囲気もあって、実に奇妙であった。おばけが出そうだな、と思ったが、考えてみればおばけが出そうという感覚を持つことも実に久しぶりであった。現代日本はどこもかしこも明るくなりすぎたのかもしれぬ。

僕が東京に行く時はいつも武蔵野美術大学近くにあるこれまた妙なアパートに泊めてもらう。大木の根っこに穴を掘って作られたようなその家は、色んな人が入れ替わり立ち替わりやってきて、色んな面白い話をして去っていく場所で、はっきり言えば僕はそこが大好なのだ。僕がかつて住んでいた家に似ているところもあって、決してきれいだと言えないその場所がやたら落ち着くのはきっとそのせいもあろう。1ヶ月ほどそこに住まわせてもらったこともあって、毎日がたまらなく楽しかった。その時は起きて、武蔵美の図書館に行って適当に何か書いて、アパートに帰ってきてスプラトゥーンダークソウル2をやりまくるという、この世の浄土のような生活を送っていた。

玉川上水沿いを外れ、武蔵美周りの荒涼とした土地をビール片手に歩く。このうら寂しい感じがディモールト・ベーネ。昔この土地と自分の間に何かあったのかなというほどに心が潤って静かに沈む心地がする。東京の西、武蔵野、ここにはきっと何かある。昔から人をして詩を詠ませた何かが。

目的地に着くとその辺りもやはり真っ暗で、大木の根っこにたった一つ、件のアパートの灯りが心もとなくついていた。

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大木。
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その根にほのかな灯り。

ドアを開けるとかつてそこの住人であった人間が(今も住人なのかもしれないが、そのあたりがはっきりしない妙な家なのだ)、真正面に見える居間であぐらをかいて僕を待ち構えていた。「なんかこちらで前夜祭があるって聞いたんですけど」などと軽口を叩きつつ僕はズカズカその奇妙な家に入っていく。彼(以後S氏とする)は数少ない僕の友人で…いや友人という言葉は正しくないか、知人で…いや知人というほど関係が希薄なわけではないな、仕事仲間…いやそれも全然違うイメージだな…とにかく何と形容すればいいのかわからないほどお世話になっている人である。特に先日のローザンベリーの記事でちょくちょく出てきた我が父などはS氏にはお世話になりっぱなしで、S氏のおかげで父の作品は売れるようになったと言って過言ではない。僕と父だけでなく兄もS氏にはお世話になっていて、つまりS氏は我が一族からここ最近で一番被害を受けている人間なのである。
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翌日のパーティー用にスーツを来て東京に向かったので、まずはスーツを脱ぎ気楽な格好にさせてもらう。S氏は肝の甘辛煮を作ってくれていた。父もよく作り置きで肝の甘辛煮を作ってくれた。父の料理といえばほぼそれしか思い浮かばないのだが、S氏も甘辛煮と、ほかにもう一つぐらいしか料理はしないらしい。何か男をしてどうしても甘辛煮を作らせてしまうものがあるのだろうか。甘辛煮は大変美味しく、買い込んできたビールが高速で消費されていった。そうしているうちにそのアパートを常宿にしている武蔵美の先生が帰って来られ、今度は3人での飲み会となった。アパートに無造作に置かれていた出自不明のどぶろくを頂く。米の食感がプチプチとまだ残っていて、特に底の方は酒なのか米なのかわからないようなドロドロの状態で、酒を飲んでいるというよりは米を飲んでいるというような具合であった。

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米がそのまま残ってる。

あまりに美味しかったのでそのどぶろくも干してしまう。その頃にはS氏の後輩(という形容も何か違うが)の格闘家がやってきて、彼にも我々一家はお世話になっており、また彼は実に多様な話を持っている男なので毎回東京に来る時には彼と話をするのが楽しみなのであるが、その格闘家とさらにもう一人武蔵美の学生がやってきて、計5人で飲むことになったようだ。「ようだ」というのはつまりその頃からもう記憶が怪しくなってはっきりとは覚えていない。僕が京都で買った酒を出すのを忘れてたんじゃないかと思ったが、翌日見るときれいに干されて空びんがその辺りに転がっていた。

その後深夜にS氏の家に移動して消費される話を全て消費し尽くして眠りに落ちた。

翌日起きて、二日酔いを迎え撃つためにビールを頂き、S氏とS氏の奥さん(彼女も父の被害者の会の構成員である)とお子さんとそれから格闘家と、実に良いメンバーで諸々の話をし、話し足りないというところでタイムアップとなった。やはり1週間ぐらいどっしり東京にいないとしたい話ができないという気がする。

外に出ると雨が降っていて、また革靴が濡れてしまうなあと思いながら鷹の台駅へ向かった。僕が黒の革靴を履く日は大体雨が降る。我々の結婚式もそうだった。

新宿で電車を降りて京王プラザホテルへ。新宿駅からホテルへ、何かやたらピカピカした建物があるなあと思いながら歩いていくとそれが京王プラザホテルだった。前日いた場所との落差がすごすぎてクラクラしてくる。

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すげえホテルだな…。

15時半からパーティが始まると父から聞いて15時過ぎに会場に着いたのだが、着いてみるとパーティはもう始まっていた。どうやら15時からだったようだ。父はそ知らぬ顔でパーティに馴染んでいる。その父は、全身を紺色で固めた上に靴だけナイキの真っ赤なスニーカーという奇抜な出立ちで、そもそも目立つ人なのにとんでもなく目立っていた。なんだ、真面目にスーツで来る必要なかったんじゃん。200人からなるそのパーティで父は乾杯の音頭を任され、マイクを使わず大声で叫びたいことを叫びまくって乾杯するという、大立ち回りを演じていた。

パーティではうまいものをバクバク食べて、ワインをガブガブ飲んで、2次会で目が回るほど高いウイスキーを2、3杯頂いて、8時頃ホテルを後にした。ボトルの値段かと思った値段がウイスキー1杯の値段だった。恐ろしいほど高い酒がこの世にあるものだ。

帰りの時間が読めなかったので帰りはぷらっとこだまではなく、のぞみで帰った。ホテルから外に出ると雨は止んでいて、黒々と濡れたアスファルトに映る東京の景色に、帰るのがたまらなく名残惜しくなった。

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グッドバイTOKYO。