ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

酒は相対的存在

酒には絶対的な価値があると信じていた。
飲めば僕に無敵感を与え、全能感を与え、文章すら酒さえ飲めば自在に書けると思われた。
いつでもどこでも、飲めば楽しく気持ちよくさせてくれるもの、それが酒。

ところが近頃どうも違う。飲んでもさほど楽しくならない。それどころかしんどくなる。あろうことか飲んでる最中にもう飲みたくない、なんてわがままな言葉も己の内から聞こえてくる。日によりけりであるが、そんな日が増えた。

それでもなんだかんだ言いながら毎日飲んでいたのであるが、ついに先日、今日は酒を飲むまい、と決めて本当に飲まない日が訪れてしまった。しかも飲みたくて貧乏ゆすりが止まらないとか、飲みたすぎて物に当たり散らすとか、飲まないがゆえに頭痛がしてどうしようもないとか、そんなことは何一つなく、いとも平然と酒を飲まないまま一日を終えてしまった。

なんということだろうか。僕はピュアな酒飲みではなかったのだ。若い頃から無頼で、破天荒で、むちゃくちゃで、破滅型の、そんな酒飲みにどこか憧れていた。だけど僕はそうではなかった。真の酒飲みなら「今日は酒を飲むまい」などと言って本当に酒を飲まないなどという日はない。また、そんなことは決して言わないし、きっと思わない。頭をよぎりすらしない。

僕の、僕に対する酒飲み幻想が消滅したのと同時に、己の中の酒に対する絶対神話も崩壊してしまった。酒さえ飲めばどうにかなる。己を持ち上げれる。たとえ勘違いであったとしても己をパーフェクトな存在として認識できる。それが酒だ。酒の絶対存在たるゆえんだった。

それが今はそうではない。飲めばしんどくなって、眠くなって。そんなはずはないと、神話を復活させようとして酒を飲んでみるが結果は同じで。あろうことか飲まずに済ませられるならそれはそれで割といいじゃん、なんてどこかのチャラチャラしたテニスサークルみたいなことまで言って。
ええいっ、どこのヤリチンだ貴様っ、逮捕するっ!!

僕は酒を袖にしたのだ。なかなか良かったよ君、なんてことを言って。僕が酒を振るのに、コロナが一役も二役も買ってるのは言うまでもない。一人でつまらない酒を飲みすぎたのだ。酒を飲む意味が、価値がわからなくなってしまったのだ。絶対と思われたその時間が、他の時間に比較され、堕とされてしまった。

今この文章は酒を飲みながら書いている。金曜日の真昼間に、心地よい秋空の下で書いている。酒を飲まなければ書けない文章もあると若い頃は思っていた。今はどうだろうか。今はどちらかと言うと酒を飲めば書けなくなる文章があると思っている。

でも、この文章はきっと酒を飲まなければ書かなかったろう。書けなかったろう。そういう文章がいつまでも己の中にあってほしい。
酒を袖にしたのに、そんなことを願うのはあまりにヤリチンすぎるだろうか。

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金曜日です。飲みましょう。