ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

4コマの賞に漫画を出した

先月か先々月にも出したと思うがまた出した。
前回の4コマは猫漫画の募集で、馬鹿なことに僕は自らの漫画のキャラゴリ押しの4コマを投稿したが、大賞を取ったのは普通の猫あるある漫画だった。
なんでこんな漫画が、と思うと同時にそりゃそうかとも思った。

作られたキャラものの漫画を一発勝負の場でいきなり見せられて「どうでござい!」と言われても、世界観も何も分からないのに審査員の方も評価できるわけがない。その賞で求められていたのは普通の、かわいくて面白い猫あるある漫画だったのだ。

それだったらそれでいくらもネタはあったのになー、と残念ではあったが一つの啓示を得た気がした。
すなわち、こちらの書きたいものを勝手に書いて賞に出したところでしょうがなくて、ちゃんと向こうの求めてるものを書かないとダメだということだ。
それはその作品の良し悪しとはまた別次元の話で、まずそこをクリアしてないと向こうも評価のしようがない。大げさに言えば俳句の大会に自由詩ひっさげて行くようなもので、いやそれはちゃんと俳句の形にして来てくださいということになる。
つまり僕が前回出したものはスタートラインにすら立てていなかったのだと推測される。


今回はどういったものを相手方が求めているのかを調べて、結構考えて描いた。モノクロとカラーは自由だったが、過去回で賞を取ってるのはカラーのものばかりだったので色もつけた。実はモノクロで出そうと思っていたから危ないところだった。
賞を取っている作品もバラエティ豊かで、でも納得がいかないという作品はなかった。賞の感性と僕の感性が合っていると感じた。

結果今まで出した賞の中で最も自信のあるものが出来た。これはさすがに行ったのではないかと思う。いや、というか行ったでしょ。行った行った!絶対行ってるにちげぇねえって!!
そんなことを繰り返し思ってしまう。過去には無かったことだ。つまり、やっぱりどう考えてみても行ったっしょ。

発表は10月下旬。楽しみにしててくれよな!


と、〆る前に、求められているものを求められている正しい形で提出することは、今回の賞だけでなく、色々な場面に応用できることではないかと思った。
要するに自分の持っているものをそのまま出すんじゃなくて、多くの人が面白いと思える形にアレンジして出す、ということなのだけど、今まではそんなことを意識したことがなかった。それは評価されることを第一義としてこなかったから。

だけどそれで金もらおうってんなら話は別で、やっぱり「皆が楽しめる」ということをもっと考えねばならない。いや、考えたいと思った。
昔の僕ならそれは純粋な自分じゃないじゃん、ズルじゃん、邪悪じゃん、と感じたであろうが、今はまさにその邪悪を為そうと考えている。邪悪で真っ黒に染まってやろうと考えている。

その邪悪を考えることは作品にとっても良いことだと思うから。作品が良くなるならそれでいいさ。
おっと、庵野秀明のプロフェッショナルをamazon primeで見た影響がモロに出ちまったぜ。
それに何が純粋で何が邪悪かというのも、よく考えれば分からない。傲慢でわがままなのが純粋なのか。人にウケる定型に当てはめることが邪悪なのか。

何がやりたいって、自分の書いたもので金稼ぎたい。それだけなのさ。


うーん、こう書くとなんかやっぱり邪悪な感じがするね。
邪悪から生まれる新しさもある。