ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

インターネット

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

近頃はインターネットには僕の読みたい文も、僕が書きたい文も、もう無いのではないかと、そんな気がしてしまって少し寂しい。

探せばあるのかもしれないけど、インターネットが大量のゴミで溢れかえってしまって、もう探そうという気にもならない。
毎日「誰か」が会ったこともない、話したこともない「誰か」のことを書いている。そんなのが繰り返し大量生産される。

僕はそんなのより、あなたが何を思い、どう生きているのかが知りたい。それを素敵に書いている人もいるだろう。だけど大量のゴミに埋もれてしまって、もはや検索不可能だ。
自らの読みたいものを探すなら、近所の図書館に行き、本を探した方が遥かに速く、確実だ。僕の探している「誰か」は別に今生きてる人でなくともよい。
一周回ってインターネットが不便に、本が便利になっている。自ら作り上げ原初には素晴らしかったものを、最高につまらなく仕立てあげていくのは人間の性なのか何なのか。

書きたいものが無いのも似たような理由だ。何か書いたところで、これは果たして全世界に向けて公開すべきものなんだろうかと疑念がつきまとう。そんなことをしたところで無駄ではないだろうか。下手にゴミを増やすよりは、己で消化してしまった方が良いと思える。それで近頃は手書きの日記に書きたいことを書きつけるか、インターネットに載せる場合は漫画に逃げている。漫画にすると気が楽になって良い。

インターネットに載せる文と、手書きの日記に描く文をうまく分けられたらと思うが、なかなか難しい。自分の中ではほぼ同一のものなのでどちらかを書くともう片方が薄まってしまう気がする。24年書き続けた日記が薄まってしまうのは嫌だ。それでインターネットに載せる文を抑制している。

今日のは突発的に書いた。そういう衝動が時々自らを訪れる。しかし、回数が減った。
ゴミの山に自ら大切にしているものを放り投げようという者もあるまい。それはまたエコでもあるのでは。

生産しない生産性もまたある。