ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

喪失感、あるいは豊かさの所在

僕の持つ喪失感の根源は、自然との分離であったと先頃分かった。

僕らがもういらないと、捨て去ってしまったものこそ本当に必要なものではなかったか。

失ってしまった者が、失われつつある若者に、更なる喪失を促している。

そうして建てられた砂上の楼閣。根っこの喪失を抱えたまま、しかし誰もそれに気付きはしないで、ただ空虚であることだけを自覚している。そうして空虚を空虚で埋めようとするのだ。

真に知るべきものは何だろう。真の豊かさとは。知識とは。

前提がないまま結果だけが声高に叫ばれる。1ケタ2ケタ3ケタは捨てられ、4ケタからが連呼される。
しかし本当に面白くてRichなのは1ケタなのでは?

着陸すべき陸を持たぬまま空を飛んでしまった人は、死ぬまで空を飛んでいなければならない。
それを幸とするか、不幸とするか。