ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

新婚旅行で石垣島へ②~潜入竹富島編~

この日記の続きです。新婚旅行2日目~最後まで。長いです。
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旅行の2日目。朝6時半に起きると、予報と違い雨は降っていなかった。朝食を食べにホテルのレストランへ向かう。

フサキリゾートホテルはバイキング形式の朝食だったが、レストランは広々としていて清潔感があり、とても雰囲気が良かった。さらに料理の種類も豊富ですごくおいしい。
記憶とはこわいもので、つい10日ほど前のことなのに朝食バイキングで何を食べたのかはっきり思い出せない。確実に食べたのはフォーとそばだ。
1日目に鍾乳洞のおじいからラーメンの汁を飲むなと注意されたのでフォーの汁をちゃんと残したことを覚えている。そのほかにもお腹がはちきれそうになるぐらいたくさん食べて、どの料理にもとても満足したので、その日の夜は市街地には出ずに、ホテルで夕食をとることに決めた。

1日目の夕食の失敗があって、もう残念な夕食はこりごりだったし、恐らく市街地で人気の居酒屋さんやご飯屋さんは予約でいっぱいだろう。わざわざ危険な賭けをするぐらいならホテルで食べた方がいい。もう絶対に失敗したくないのだ。メシがまずいとその旅行全体の印象が悪くなる。ホテルの朝食はとてもおいしかったし、この分なら夕食もきっとおいしいだろう。それにチェックインの時にもらったサービスチケットも3000円分ある。
この判断は大正解だったと今は思っている。

2日目の予定としては石垣から離島に渡る、ということだけがはっきりしていた。どれぐらい回れるかわからないがとにかく行けるだけ行ってみよう、ということで早起きしたのだ。

出発に際し、前日持って出るのを忘れた三脚をちゃんとリュックに入れた。もともと自分で絵を描くのに必要な資料を自撮りするため、確か2000円だか3000円で購入した安物の三脚だが、この新婚旅行では八面六臂の大活躍だった。
自撮り棒全盛時代に三脚を持ち歩いている人もそうそういないかもしれない。この旅行中もほとんど見かけなかったが、小さなリュックに入れられるコンパクトな三脚なら自撮り棒より三脚の方がはるかに便利ではなかろうか。長く伸ばしてセルフタイマーにすれば自撮り棒にもなる。
「復活劇からの三脚最強伝説」僕はこの新婚旅行での三脚の活躍ぶりをそう題したい。それぐらい役に立った。

石垣港へ向かう前に、せっかく雨が降っていないのでこのタイミングを逃す手はあるまいとフサキビーチで写真を撮ることにした。長い桟橋をバックにパチリ。さらにビーチで飛び跳ねてる写真を撮ることにする。が、セルフタイマーのシャッターが切られるタイミングがわかりにくく、嫁さんと息を合わせ5、6回目ぐらいでやっと成功した。後から見てみると、どれもこれも僕だけ必死の形相をしていた。

誰よりも必死な筆者。その顔は悲しげですらある。

レンタカーで石垣港へ向かい離島用ターミナルの駐車場に停める。確か1時間100円だった。
船のチケット売り場は一つかと思っていたら、業者ごとにたくさんあってどこで買えばいいのかわからない。とりあえず窓口の大きな安栄観光というところで二人分のチケットを買う。一人1500円ぐらいだったかな?片道かと思っていたら往復でその値段だったのでめちゃくちゃ安いと思った。
1日目の鍾乳洞と同じ値段は安すぎ。

船の出発まで時間があったのでぼーっとしながらターミナル内をウロチョロしていると、フェリー往復+水牛車コースなど他のプランがセットになったチケットを見かけた。水牛車には乗ってみたいと嫁さんが言っていたので、既に船は来ていたが急いでもう一度安栄観光に駆け込み、チケットを水牛車付きのものに変更してもらった。差額は一人+2000円ぐらいだった。

10時ちょうどに船が出発。フェリー内は西洋人の観光客が多い印象。天気は曇り。15分ほどで竹富島へ。

船内は広々としていた。

竹富島に到着すると水牛車乗り場まで連れて行ってくれるバスが待っていた。もしチケットに水牛車を付けてなかったらどこにいけばいいのか全然わからなかったかもしれない。水牛車付きにしてよかったとその時思った。
バスは竹富島のど真ん中で停車した。帰りもフェリー乗り場まで送ってくれるらしい。

手続きを済ませ水牛車に乗り込む。馬車と同じで水牛の後ろに人間の乗る車がついている。20人ほどが車に乗り込んだ。
一番先頭には牛の背中、そしてハナレグミに似た水牛車の御者。30代ぐらいの感じのいいお兄さんであった。

水牛車出発。ゆっくりだが結構揺れる。道中はハナレグミのお兄さんが色々な話で僕たちを楽しませてくれた。
水牛の名はシマ君、という。背中側しか見えないがツノがクルッと一周まわっていて、可愛らしい。竹富島の水牛の中でも力の強い方らしく、最大3トンまでひけるとか。マジかよシマ君。
途中犬と同じように匂い付けをしながらシマ君は進む。お兄さんは僕たちに話をしてくれると同時にシマ君にもハッパをかける。長い付き合いになるとトイレのタイミングもわかるらしく、
「シマ、ウンコか?ん?」
と言いながらお兄さんがバケツをシマ君のお尻に当てると大量のウンコがシマ君のお尻から溢れ出てきた。牛がウンコをするところを生まれて初めて見た。
シマ君は車のこともよくわかっていて、内輪差で車が壁にぶつからないよう大型トラックのように大回りでカーブを曲がっていた。シマ君すげえよ。

シマ君はコーナーリングも完璧だ。

ハナレグミのお兄さんは竹富島のことについてもたくさん話してくれた。竹富島は小さな島だが全戸埋まっているらしく島外の人が竹富島に住むのはなかなかに厳しいらしい。
出発して5分、島で唯一のコンビニ、というか個人商店を通過。このコンビニはその後島を散策する上での重要なランドマークとなった。
コンビニを通過して少し行ったところでお兄さんが神妙な顔をして東の方を向き、
「あっちは悪いものがやってくる場所なので行かないでね」
というようなことを言った。
その場所は竹富島全体から見ると北東の方角で鬼門に当たっていた。

僕は大学時代民俗学を専攻していたが、ハナレグミのお兄さんから先のことを言われたときに、沖縄は民俗学的にもめちゃめちゃ面白いところだとゼミの先生が言ってたことを思い出した。ゼミでお世話になったおじいさん先生は沖縄に民俗調査に入り、島の人たちの信頼を得て普段よそ者は入れない神聖な場所に入れてもらった。さらにその場所の写真を撮ることを許可してもらったが、そこで撮らせてもらったフィルムをいざ現像してみると何も写っていなかったという。沖縄はそういう面も非常に「濃い」場所なのだろう。
柳田や折口や、著名な民俗学者が沖縄を訪れるわけだ。

水牛車は途中カーブしながらハイビスカスの中を進む。島の集会所の横を通るとお兄さんが、島の集会所では一年に何十回(二十回ぐらいだったかな?)とある祭りの度に飲み会が催されることを教えてくれた。飲み会の際には島中に放送が流れて告知される。
その飲み会では料理も振る舞われるか持ち寄るかするそうだが、沖縄の人はあまり沖縄料理を食べないらしい。ハナレグミのお兄さんはからあげが大好きらしく、
「ゴーヤチャンプルー食ってる場合じゃないですよ」
と笑顔で言っていた。

一通りの話が終わるとお兄さんは三線を取り出し竹富島の唄をたくさん歌ってくれた。ゆらゆらと水牛に揺られながら三線の音色を聞いているとここがどこであるのか、今がどの時代であるのか、わからなくなる。なんだか物語の中に入り込んでしまったようだった。

最後は島で唯一の小学校・中学校の前で水牛車に乗ってる全員で写真を撮った。中学校では一人に一台タブレットが支給され、黒板は全て電子黒板らしい。生徒と先生の割合も、生徒3人につき先生が1人と手厚い。ただ、中学を出て進学を望むなら島の子どもは島を離れなければならない。
水牛車を降りてから僕たち夫婦二人でシマ君と一緒に写真を撮ってもらった。写真はすぐに現像してくれるみたいなのでせっかくだからとお金を出して写真を購入した。一枚1000円ぐらいだったと思う。ありがとうシマ君。

新婚旅行で一番の思い出を作ってくれたシマ君とハナレグミ似のお兄さん。シマ君はよく口をマイーンてしていた。

島の中心部を離れ、水牛車に乗ってる途中教えてもらった、歩いていけるビーチ(西桟橋)に向かう。歩いていて気付いたが、水牛車の進むスピードは歩きと同じかそれより少し遅いぐらいだった。竹富島はただ歩くだけで楽しい島だ。レンタサイクルもあったけど別に必要ないと思う。歩くスピードでしか見えないもの、感じられないものもある。


ビーチに到着。なんだこりゃ。曇ってるのにすげえ。すげえ綺麗だ。晴れてたらとんでもない景色になるのだろう。再び最強三脚で写真を撮る。が、その日はソニックブームみたいな風が竹富島に吹き荒れていて三脚がぶっ倒れてしまった。様子を見ていた観光客の人が「撮りましょうか?」とカメラを持ってくれる。どんな風が吹こうが、雨が降ってないだけ良しとするべきだ。

晴れてたら多分えげつない景色になってる。写真ではわからないが暴風が吹き荒れていた。

正午を回ったので町の中心に戻りお昼ご飯を食べることにする。そばは前日に食べたのでその日のお昼はハンバーグを食べることにした。「お食事処かにふ」に入り、僕は牛と豚のハンバーグがそれぞれ1種類ずつ付いてるセットを、嫁さんは豚テキのセットを頼んだが、いざ料理が来てみると豚テキもどでかいのが2枚入っていた。いや、これ量すごすぎないか?嫁さんの食べられなかった分も僕が完食し、お腹がパンパンになったところでやっぱり外は雨模様になってきた。
フフ、こんなこともあろうかと僕はカッパを持ってきていたのだ。雨の好きなようにはさせんよ。

僕がカッパをかぶり、嫁さんが折りたたみ傘をさしたなら再び出発だ。

その後はカイジ浜という星形の砂の拾える場所に歩いて向かい、途中嫁さんの体調が悪くなったので一旦引き返してチロリン村というジュース屋さんでパインジュースを飲みながら休憩し、再びカイジ浜に向かって到着するもしかし星形の砂には目もくれず(夫婦ともにあまり興味がなかった)、隣のゴンドイ浜までビーチを歩きつつ、新婚ぽい雰囲気のあらゆるバリエーションの写真を撮った。恥ずかしいので具体的な内容は避けるが、つまりまあそういう写真だ。途中からまるで三脚が僕たちの専属カメラマンのように思えてきた。
そんなことをしてるうち、いつの間にか雨はやんでいた。
ゴンドイ浜には猫がたくさんいたのでしばしたわむれた後、島の中心部に戻る。白地に黒の入った猫がやたら多かった。なでてみるととても温くてかわいかった。

人に慣れているようでなでさせてくれた。とても温かった。

竹富島を3時間は歩いてもう十分、となったので石垣島に帰ることにする。帰りのフェリーに乗り、石垣島に戻ったのは確か16時半ぐらいだった。

ホテルでの夕食は19時からだったのでまだ時間はある。前日に行けなかったヤエヤマヤシの群生地に急いで向かった。石垣島のど真ん中を通っている道を走る。この2日間でほとんど石垣島を一周してしまうぐらいにレンタカーをフル活用した。車のほとんど走っていない道は気持ちがいい。途中牛や馬の群れを何度か見かけた。

ヤエヤマヤシ群生地の駐車場からは遊歩道が続いていて、10分も歩かないうちにヤエヤマヤシの生えまくっているポイントに到達した。と同時に待ちかまえていたかのように晴れ間が差した。森が美しかった。

奇跡的に晴れ間が差しているのがお分かり頂けるだろうか?

ホテルへ帰ったのが18時前で、まだ夕食まで時間があるので、前日夜飲めなかったオリオンビールを部屋から持ち出し、フサキビーチに出て、ビーチチェアにゆったりと座って二人乾杯した。ビーチにはほとんど誰もいなかったのでスマホで音楽を流すことにした。

曇天の中ビール片手にビーチチェアに腰かけ、中島みゆきの『時代』を爆音でかけながら何もしゃべらず海を眺めている二人。周りから見ると怖かったかもしれない。
当人たちはみゆきさんのおかげでめちゃくちゃ気持ちよくなっていた。

中島みゆき×オリオンビール=最強

ひとしきり中島みゆきメドレーを聞き終わるといい時間になっていた。ホテルで夕食だ。
石垣での最後の夜をゆっくり過ごせたのも良かった。無論、ホテルの夕食はすごくおいしく、大満足の結果であった。特にグリーンカレーが信じられないくらいおいしかった。もう沖縄関係ねえなそれ。

帰りの飛行機は8時55分発のものしか取れなかったので、ホテルを翌朝7時には出なければならず、夕食を済ませるとその日も早く寝た。起床は6時を予定していた。


次の日、なんだかものすごい音がして目が覚めた。まだ6時になっていない。まさかと思ってコテージのドアを開けてみると外は目を疑うような暴風雨であった。
擬音語でいうならばスドドドドドドドバババババ。

すっげぇ、滝みたいだあ、という第一印象。
僕はタイによく行くが、タイでもなかなかお目にかかれないぐらいの降りっぷり。
最終日にきてついに雨男の本領発揮か……いや発揮してどうする。

あまりの異常事態に嫁さんも目を覚ます。
「どうしたの?」
「すごいっす」
「何が?」
ドアを再び少し開けると勢いよく雨と風が舞い込んできて一瞬で部屋の中が水浸しになりそうだった。

しばし呆然とする僕と嫁さん。しかしじっとしててもしょうがないので、とりあえず帰り支度をしながら雨が弱まるのを待った。コテージからホテルのロビーまでは外を歩かねばならない。が、当然のごとく雨は弱くならない。
7時にはホテルを出なければならないので6時半のタイミングでやむを得ず荷物を持ってロビーに向かった。ロビーまでの道は雨が濁流となって奔走していた。水たまり、いやむしろ軽く池みたいになってるところもある。
距離にすれば多分150mぐらいだが、その間に二人ともずぶ濡れになってしまった。

ロビーにつき荷物を預けて朝食を食べる。こんな状況なのにやっぱりバイキングの料理はどれも美味しくて、めちゃめちゃ食べてるうちに7時を少し回ってしまった。
急いでチェックアウトの手続きをする。手続きをしてくれたお姉さんが、レンタカーですか、と尋ねてきたのでそうです、と答えると、
「もしかしたら途中で車が止まってしまうかもしれませんがどうかお気をつけて」
みたいなことを言われた。
何故雨で車が止まるのか、その時はどういう意味か分からなくてとりあえずお礼を言ってホテルを出発した。

海岸沿いの道で空港まで行こうとホテルから100m進んだところでお姉さんの言ってた意味がわかった。道が冠水して通行止めになっていたのだ。

ヤバい。予想していた以上にヤバい事態だ。このままじゃ空港までたどり着けないかも……。
海岸沿いの道は諦め、島のど真ん中を通っている道を選択する。というかもうその道しかない。
空港までの道のりはとてもハラハラした。途中車体が浸かってしまうぐらいの水たまりが続いているところがあって、車が止まりそうになる。
あぁ、これテレビでよく見る車が動けなくなるやつだ。

なんで道路冠水してんのに車で移動すんの?バカなの?とかテレビ見てるときは思ってたけど、いざ自分がその立場になると是非もなし、ということがよくわかった。とにかく何が何でも空港まで行かなきゃならねんだよぉ!

何度も何度も止まりそうになりながら何とか空港近くのレンタカー屋さんに到着した時は心底ホッとした。1時間出発が遅かったらダメだったかも。
到着したのが8時前。レンタカー屋さんは8時からだが既に開いていたので、レンタカーを無事返して空港までお姉さんにハイエースで送ってもらう。8時前に返しにきたのは僕たちだけだったようだ。
あまりにひどい雨の仕打ちだったのでお姉さんに、
「これ(雨のこと)って石垣の日常なんですか?」
と聞いてみたところ、
「全然違います」
と言われた。
「台風が来てるとき以外でこんなに雨降るのはなかなかないですよ。私たちも店までたどり着けるかドキドキでした、ハハ」
お姉さんがそう言うので僕も
「ハハハ……」
と力なく笑い返した。
これってやっぱり普通じゃないんだ。
www.okinawatimes.co.jp
↑その時の雨の様子がコレ。4月の最大雨量更新したってよ。

もうココまで来たら笑うしかない。土砂降りに始まり暴風雨に終わった新婚旅行。
最後は石垣空港前でIKKO風、
「降りすぎー」
をフルテンションでキメて旅を締めくくった。
これもまた良い思い出となるだろう。



なお、石垣空港は雨風の影響で出発見合わせまくりのダイヤ乱れまくりで、結局8時55分出発の飛行機に乗り込めたのは10時を過ぎてからのことであった。
そしてその翌日から石垣島はウソのように晴天になるのであった。
どんだけー