ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

近頃の俺には、50分の授業時間は長いような気がしているぜ

2018年度も半分を超え、3年生の授業ももう数えるばかりとなった。大学受験真っ只中の3年は授業中自分の勉強してるのもいれば、寝てるのもいれば、僕と話をしてるのもいる。皆自由にやっている。

僕の講師としての経験も6年ほどになる。もう落ち着いて、授業なるものの形もはっきりと決まって、まるで流れ作業のように授業をこなせてもいいはずだ。

しかしなんだろうこのザワザワとした感じは。授業をする度に、いや、すればするほど心がザワつく。さらにザラつく。
「この味は、嘘をついてる味だぜ、夜明けのandoon」(GIOGIO第5部 ブローノ=ブチャラティ
そういう感じがいや増す。

その原因が近頃はっきり分かった。
授業の時間が長い、長すぎるのだ。

僕の勤務する高校の時間は1時限50分だ。恐らくほとんどの公立の授業時間もその程度だと思う。
そのことに何の疑問も抱かずこれまでやってきた。

しかし、よくよく考えれば50分は長い。

落語だったらどうだろうかと考えてみる。
50分の落語、長い。長すぎる。
40分でもまだ長い。30分でもまだ長い。
個人的に好きな落語は大体が20分程度のものだ。

一人の人間の話を集中して聞く限界時間はそのぐらいなんじゃなかろうか。
50分じっと座ってそれほど興味もない話を聞く。ムリだ。僕が生徒だったら脱兎のごとく逃げ出すだろう。

数学など自らで解いてみたり、演習したり、作業をしたり、話を聞く以外の内容が授業にあればいいが、社会、特に歴史の授業にはあまりそういったことがない。しかも僕の授業では穴埋めという作業すら省いてしまっている。つまり生徒は授業中僕の話を聞く、僕と話す、やりたければ自分のノートを作る、という以外にやることがない。

だったら作業入れればいいじゃん、ということになるが、作業を授業に取り入れるなら、その作業は最低限僕が生徒とする話より面白くなくてはならない。作業がホントの作業とならずに、生徒が興味と楽しみを持って実践できる何かでなくてはならない。決して生徒の心を殺す何かであってはならない。それは遊びの一種と言ってもいい。そういったものを編み出すのは至難の業だ。
大抵歴史で作業と言えば何かを調べる、それを発表する、この流れに終始することになる。題材によっては面白くなるんだろうけど、生徒はもうそういう「暇つぶし」の作業にまるで完璧に仕上がったアバズレ女の如く慣れてしまっているし、それだったら僕の話の方が面白いんじゃなかろうかと思ってしまう。

一度歴史の授業の一環で、クラス40人で20・20に分け、綱引きをして火起こしをしたことがある。火きり棒、火きり板を授業内で作る時間はなかったのでそれは僕がコーナンで材料を買ってきて自作し、15人ぐらいが集れる押さえの部分のみを授業中に作らせた。
そうして火起こしに挑んだわけだが、高校生のパワーは凄まじい。綱を引き始めてものの10秒そこそこで削れた木屑が真っ黒になり、火種ができてしまった。あまりに早すぎたので、『火というものはそんなに簡単に起きるものではないッッッ!』という僕のシャア・アズナブル的プライドが邪魔をして、そのまま綱引きを続けさせたところ、なんと火きり板の下敷きにしていたダンボールに引火してしまった。
It's the happening!

生徒「イッチニ!イッチニ!!先生、一体いつまでやるんですか!?」
僕「よーし、いいぞ!もうすぐ火種ができそうだぞぉ(もうとっくにできてるけど)。もうひと踏ん張りだ、ガンバレガンバレ!」
生徒「せ……先生っ!ダンボールが燃え始めてます!」
僕「何を馬鹿な。君らは火が起きる順序というものが分かっておらん。火というものはだな、まず火種ができて、しかる後に……うぉっっ!ほっ、ほんまに引火してるううぅぅぅ!!」

本当は火種を火口(シュロの皮)に包んでそれを藤蔓のカゴに入れ、ピグミー族式にグルグル回して火をつける予定だったので、その時は急いで鎮火し、仕切り直してその授業時間内に二回目の火起こしをやった。二回目はうまくいった。
もちろん、教頭に許可を取っての話である。

竹で神輿を作ったこともある。僕は非常勤講師なので、職員会議に出なくてよい。であるので、皆が職員会議をやってるその隙に竹を50本ほどトラックで勝手に校内に運び込み、「竹を運び込んでしまいました」という既成事実を作ってから、これまた教頭に許可を得て、授業で舟神輿っぽいものを作った。

そういう作業なら良いが、週3回も4回もある授業で毎回そんなことできない。毎回そんなことができたとしても、それはそれでもはや「歴史の授業とは?」という大変訳の分からないところまで議論が及んでしまいそうである。つまり大変ややこしい。考えるのが嫌になる。

僕含め楽しい作業ならいいが、そうでないのは嫌なのだ。だから作業をするならたまにでいい。毎回の授業に作業を入れないなら、問題は寝ても覚めてもやってくる週3回、ないし4回の、1回につき50分の歴史の授業をどうするかだ。

もう一度言うが、僕には50分は長い。とても真面目に歴史の話などやってられん。興味を引く内容を含め、歴史の話は30分しかできん。というか30分しかもたん。では残りの20分をどうするのだ。どうすればよいのだ!?他の社会科の皆さんはどうしているのだろう?

このことを考える度「ごまかす」「ねじ込む」「ねじ伏せる」という3つのワードのみが頭の中をグルグル駆け回るが具体的な方策は一体出てこない。

そうしている間に今日もまた、明日がやってきそうである。

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テスト範囲の告知用に描いた。下の空白の部分に範囲や注意事項などを書き入れて生徒に渡した。ツケの払いの時期がやってきたんだ。『明日は20分ねじ込んでいいんだぜ』そうJOJOに言ってもらいたい。