ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

授業ノートガチ勢

今年度の僕の授業は、4月に気合いを入れて書いたとおり、プリントのチェックをしないことにした。
yoakenoandon.hatenablog.com
すなわち穴埋めが全て完成されていて、かつ僕の書き込みが入ったプリントを生徒に渡す。だから生徒が授業中やるべきことというのは何にも無い。ノートも取らなくていい、プリントの穴埋めもしなくていい。僕と楽しく話をすればそれでいい。

ただ一つ「やるべきこと」ではなく「やってもいいのではなかろうかと思われること」として、自分のノートの作成については言っておいた。
もし授業を受ける中で、自分の興味あること、疑問に思ったこと、授業の感想、などなど個人的なことを書きたいと思ったなら、それを自分のノート(ルーズリーフでも大学ノートでもメモ用紙でもなんでもいい)に書く。授業を受けていればそれだけで最低限の平常点はあげるし、もっと欲しいのなら自分のノートを作っていればさらに加点すると伝えた。

僕の勤務する高校は成績点にテスト点と平常点の二つの項目があり、通常8:2で分けられる。テスト点は0.8掛けされ、残り20点分を出席、授業態度、提出物、などなどの平常点で補うという寸法になっている。他の高校も比率の違いはあれど大体は似たような成績の付け方をしているのではないだろうか。

この点数をつけるという作業が無くなれば、まあどれだけ先生も生徒も楽しくなるかと常々思っているのだが、やらなきゃ金をもらえん。つらいところだ。もしそれをしないというのなら、自分で学校を作るしかない。
近頃大学の入試制度も複雑化し過ぎててわけがわからんが、この平常点、及び内申点がその一端を担っている。テスト一発実力勝負じゃダメなのか。その方がよっぽどわかりやすくて公平だと僕なんかは思ってしまうのだが。シンプルで良かったものを、時代が進むにつれ複雑面妖なものにしてしまうのは、人間のどうしようもない性か。
話がそれてしまった。

僕の平常点の付け方としてはつまり自分のノートがあればそれだけを評価するということだ。自分のノートが無ければ他の皆と一緒の平常点。とても単純で簡単だ。
1学期の授業を進める中で、自分のノートを作っているような様子はあまり見受けられなかった。まあ、別に作らんでも最低限の点数はもらえるんだからそれも当然か…というか自分だったらそんなノート絶対作らんだろうな、とかなんとか思いながら毎回少し寂しい思いをしていた。提出は期末テストの際に一括して受け付けた。

提出後の箱を覗いてみる。予想に反して結構ノートが入っていた。中には授業プリントを提出してる生徒もいて、そこには僕が授業中落書きのようにして書いた板書のメモが書き込まれてあったが、違う、俺が求めているのはそうじゃない。それだったら今までと変わらんのだ。その「板書メモ」はやるなとは言わんが面白くないんだ。出しても出さなくてもどっちでもいいんだ。

ノートを出してる生徒もそれほど変わり映えしなかった。皆僕の落書き板書のメモか、1学期の最初の方に僕が言ってたことをちょろっとメモしてるだけ。まあ、高校生といったらこんなもんか……あんまり面白くないなぁ、と結構落胆しながら後半のクラスにさしかかった途端、とんでもないノートに出くわした。
そのノートを開けた瞬間、岸辺露伴のヘブンズドアーくらったみたいになった。

自らを圧倒する才能と出会った瞬間の教師の図。

なんかわからんがしこたま書いてある。
な、なんだこれ……?
読んでいくと、見開きの左側は授業中に僕が披露したしょーもない話がビッシリと書かれてあり、右側にはその授業について自分が調べたこと、自分の意見などがこれまたビッシリと書かれてある。

例えば、趙匡胤とその弟についての対比が為されてあり、それぞれのまとめが書かれてある。趙匡胤は「酒飲んでたらいつの間にかなってた系皇帝!」とまとめられ、弟の陰湿さについてはすんごいダメ出しした後に、コイツとは絶対に友達にならん!みたいなことも書いてる。
またオリバークロムウェルについて、その経歴が書かれ、アイルランドを擬人化してアイルランドさんを誕生させ、「クロムウェルまじクソ!」と言わしめている。
魔女狩りについては、魔女の検査役が「ほら、刺しても痛み感じひんやろ?なら君は魔女や☆」と言い、魔女役が「え~、だってこれおもちゃやん……刺さるわけないやん……」と悲しい顔で返している。

書き始めるとキリが無いのだが、面白い記述が可愛いイラストと共に宝石のように散りばめられている。僕が授業で言ったことを拾って、自分の興味あるものに転化し、掘り下げて記事にしている。イラストもすごく上手だ。もしかして漫研か!?

こいつぁすげえ……
心の震えを覚えた。生徒のノートに感動したのは初めてだ。教科書にして売り出しても良いのではないかと思うレベルだ。誰もここまでやれとは言ってない。その生徒は3年なのだが、こんなことしてて受験勉強を疎かにしてはいないだろうか。実に心配だ。いや多分、確実に支障をきたしていると思われる。「高校生活全部ぶっ込んでます」と言わんばかりの圧倒的パワーがそのノートにはあった。

あまりのパワーのすごさに、誰のものかは伏せたまま一部をコピーして
「これが授業ノートガチ勢のノートだ!」
と称して、今日生徒に配った。紹介しないわけにはいかなかった。
皆一様に度肝を抜かれていた。雁首そろえてヘブンズドアーくらったみたいになってる。そりゃそうなる。僕もそうなった。同じ授業を受けてる同級生がこれだけのものを作っていると知れば、それは何もしてない生徒からはショックな出来事かもしれない。たかが授業ノートだけど、周りに驚異を感じさせるには十二分の内容だった。誰でもできるけど、誰もやらないことをその生徒は淡々とやっているのだ。ガチ勢をナメてはいけないと思い知った生徒も多かったのではないだろうか。


僕はそのノートに精神の輝きを見た。それは点数などという下らないものを度外視した、純度の高い熱だ。純度の高い熱は人の心を揺り動かす。その透明な熱を持ってるものはそれほど多くはない。
僕もまさか、授業ノートでそれを見せてもらえるとは思っていなかった。とても嬉しかった。
多分、その女生徒は自らのノートをブログで紹介していくだけで、ものすごい数の読者を獲得するんじゃないか。それだけの価値がある。僕の授業プリントなど問題にならない。はるかに超えてしまっているのだ。この先、学校を卒業して、社会に出ても、高3の時作った世界史の授業ノートを捨てないで欲しい。そこに保存されているものはきっと彼女の糧となる。

そして、出来るならどうかその輝きを、その熱を、保ち続けて欲しい。