ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

定時制で教えた記憶

昨日の半徹の甲斐あって、今日は随分と仕事の貯金をすることができた。明日も気を抜かずにやれば連休はゆっくりできそうである。

非常勤という勤務形態を取り始めて計4年ほどになる。今年は週16時間をもつことになった。そのうちの6時間が火曜日に集中している。
かつて週22時間5科目教えていたこともあった。非常勤一年目の話だ。昼の学校と夜の学校の合わせ技だからこそできたことだ。いや、厳密には出来てなかった。定時制夜間学校)での授業はほとんど僕のフリートークに終始していた。

定時制高校を教えるにあたって一番初めに校長から言われたことは「スマホで遊んでいても注意しないでください。生徒帰りますから」だった。
びっくりしたけど、そういう環境で教えられたらことは幸せなことだったと思っている。日本の教育とはなんとも摩訶不思議なものだなあ、と心の底から思えたからだ。結果としてその校長の言葉を僕は(じゃあ勉強教えなくていいってことでしょ)と勝手に解釈して授業ではひたすら生徒と色んな話をした。

もちろん40人クラスでそんなことは出来ない。最初20人以上いた定時制のクラスは1学期が終わる頃には5人ほどになっていた。定時制だから社会でバリバリ働いている人も来ている。定年退職された方も来ている。そのような方々の前で僕みたいな雑魚が先生面していることを大変恥ずかしく思った。
だから僕は定時制では本当の意味で何も教えていない。仕事のこと、家庭のこと、音楽や映画のこと、逆に生徒の皆さんとの話の中で教えてもらうことは山ほどあった。
とても貴重な時間だったと思う。教育の原型のようなものがそこにあったような気がしている。
忘れられない、大切な思い出だ。

ここからは今やってるこの仕事の否定になってしまうが、僕は定時制で勤めてみて、人間そんなに勉強しなくていいじゃん、と思ってしまった。先生なんていらねんだと実感させられた。だって定時制に来ていた生徒たちは、高校の勉強なんてしなくたって、僕よりもはるかに力強く生きてるじゃないか。非常勤での経験は僕を打ちのめした。

生徒におんぶに抱っこの先生という職業、先生という生物たち、もしこの職が無くなって、立派に、それこそ定時制に来ていた生徒たちのように生きていける先生は一体どれぐらいいるのだろう。

本当の先生なら生徒に一人で生き抜くことを教えられるべきだと思った。そして本当の先生なら、生徒に寄っかかるのではなく、誰より一人でこの世を生き抜いているべきだと思った。そこから一番遠いのが僕であると思った。矛盾した話だ。管理のための教育。教育のための教育。こんなこと無意味だと、虚無感を感じるのは常のことだ。

それでもプリントを一生懸命作って、少しでも楽しみの多い授業にしたいと思うのはせめてもの僕の、この仕事に対する免罪符だ。もっと言えばそれは言い訳なのさ。