ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

面白い授業ってどんなだ?

出張から帰ってくるともう4月だった。
新たな学期が始まるブルーな季節だ。
これから1年間、とにかく何とかして生き残らねばならない。
日々の授業が楽しいものでないと、途端にこの仕事が嫌になる。
生き残るためには楽しく、面白い授業を創造することがキモになる。
頭文字Dの初期の藤原拓海風に言うと、そうでもして無理矢理にでも面白いことを見つけ出さないと仕事なんてやってられない。
今年度は今までやらなかったことを色々としてみたい。

ここんとこ、頭をひねらせたり、ひねらせなかったりして、面白い授業についてぼんやり考えている。
それはどんなものだろう。
僕自身高校の非常勤講師でありながら、実は自らが高校生だったときの授業を何一つ覚えていない。
恐らく授業にも、それを教える先生にも何の興味も無かったのだろう。
比べて大学時代の講義はかなり鮮明に覚えている。
高校の授業は多分オーソドックスな、つまり先生が黒板に大事なことを書いて生徒がそれを書き写すというようなものだったと思う。
対して大学の講義では教授がきっちり板書を取るというようなことはほとんどなかった。
必要なことは配布されるプリントもしくは教授の話の中にあったからだ。
講義では面白いと思ったことをメモに取るだけでよかった。

ここには授業における重要な示唆が含まれているように思う。
板書を取る、それを写すという行為は脳死状態で行うただの作業だ。
生徒はその作業が与えられるのをじっと待っている。退屈な時間だ。
僕はもうこの作業は全然いらないんじゃないかと思う。
そもそも板書するようなことは教科書に全部書いてある。読めばわかるものをわざわざ書き直す必要もあるまい。
それにどうしてもそういう授業は生徒が受動的になる。
教える側もなんとなく教えることを強制されるような、つまり教えなければならないから教える、というような心構えになりやすい。
傍から見ればこれは、話す側は話に身が入っていない、聞く側も何にも聞いていない(ただ板書を写すという作業にのみ心を砕いている)という誠におかしな構図の授業になる。
言うなれば受動VS受動。
一体誰が誰に向けて何の話をしているのかわからない。まるで幽霊の授業だ。
本来はそうではなくて、教える側が面白いと思っているからそれを話す、というのが本当なんじゃないだろうか。
そして、多分高校の授業で最も難しいところがそこにあると思う。

決まったカリキュラムの中で毎回面白いと思えることを見つけてこなければならない。
どれだけ自分の興味がない分野でも。
僕は社会科の非常勤講師だが、教える分野は多岐にわたる。
自分が高校の時や大学の時好きだった分野を教えられる機会なんて、ほんのハナクソぐらいしかない。
僕以外の社会の先生がどうなのかはわからないが、ほとんどの授業は、自分の興味がない分野を教えなければならない。
その中で50分もつ面白い話を、というのは至難の業であるように思える。
だから板書を取りたくなる。
板書を取れば、それで時間は潰れるし、なんとなく授業が成立しているような気分になる。
だけどそれじゃダメなんだ。
それは授業じゃない。作業だ。

僕は今年度は板書を取ることをできる限り封じようと思う。
つまり、虫食いにもなっていない完成されたプリントを生徒に渡す。
そのプリントにもできる限り楽しい工夫を加えたい。
プリントを配布した後は、基本的には僕の、完璧に構成された超絶おもしろ話だ。
アクティブラーニングだなんだと騒がれてるけど、先生の話が面白ければ生徒は耳を傾けてくれる。
ブログも同じだろう。
それにそのアクティブラーニングがただの作業に転化して、全く生徒にとって楽しくない授業が展開されているという話もチラホラ聞く。
それでは「板書」の名称が「アクティブラーニング」に変わっただけ、ということになるじゃないか。
生徒が面白いと思える、ということがベースにないと何をしようが授業はうまくいかない。
先生に最も求められる資質はエンターテイナーとしてのそれだと僕は思う。

わかりやすい参考書も山のようにある、ネットを少し開けばボロボロ情報が手に入る、そんなご時世で学校の先生の授業をわざわざ受ける理由は(現状高校以下の授業は受けなければならないということにほとんどなっているが、それでもあえてそこに意味を見出すなら)、その人(先生)が好きでその人の素敵な話が聞きたい、あるいはその人と直接対話ができる、という以外にほとんどないんじゃなかろうか。
逆にそれがなければその授業には特別な価値は無いのだと思う。
生徒も参考書やネットを見ている方がよっぽど楽だし効率的だろう。

僕も授業の中でたくさんの対話がしたい。
僕の知らない色々なことを話してくれて、こちらのこともたくさん聞いてくれた大学時代の恩師は、おじいさんだったけど人間として大好きだった。
最後は僕が不義理をしてしまったがために、もう連絡を取ることも許されないけども、あのような先生になりたいと常に思っている。
どこまで理想に近づけるかわからないけど、より良い授業を目指したい。
また授業の様子などをこのブログに書き記していく。

「授業の中に雑談がある」のではなく「雑談の中に授業がある」、そういう授業ができれば最高だと思う。

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僕が教育関係の図書の中で一番好きな本『エミール』。ルソーはどパンクだ。

その一年後の授業についての日記です。↓
www.yoakenoandon.com