ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

ダービースタリオンとか競馬とかナリタブライアンとか

中学3年の時、僕は競馬にずっぽしはまった。
きっかけはダービースタリオンだったと思う。
僕らが中3の時、ダビスタは96かPS版あたりで、ダービースタリオンの全盛期と言っても過言ではない時代だった。
普通の競馬雑誌にもダビスタの記事が載るような、そんな時代だ。
ダビスタをプレイしている友達は少なかったが、やっているものは皆配合理論を勉強し、強い馬を作るのに必死だった。
と言っても所詮中学生なので、BCに出すような化物は作れず、凱旋門賞を取れればそれで仲間内では強いと言われるような、そんな程度だった。それでも十分楽しかった。
僕らはダビスタにはまると同時に競馬そのものにものめり込んでいった。

これまた中学3年生の時に「名馬物語」という、名馬の生い立ちから引退までの軌跡を追った神番組がテレビ大阪にて、確か土曜か日曜の深夜放映されていて、僕らは毎週ビデオに録画し、週明けに名馬物語について話し合うのを楽しみにしていた。
もっくんと鶴田真由がトウカイテイオーを撫でながらその回想にひたるCMが印象的だった。
名馬物語のナリタブライアンの回は友人とテープが擦り切れるぐらい幾度も見た。幾度見ても黒光りする馬体にシャドーロールはかっこよかった。
朝日杯3歳ステークスでナリタブライアン騎乗後の南井騎手が鼻をこすりながらインタビュー受ける場面があって、友人がその南井騎手のモノマネをしてくれる度僕は大喜びした。(確か、馬場が悪かったのに時計も速いですね、とかなんとかそんなことを言ってた気がする)
その友人は大久保調教師のモノマネもよくしてくれた。
モノマネのチョイスが中3のそれではない。

僕はゲームやテレビの世界だけでは飽きたらず、中学生ながら馬券にも手を出した。
一度友人とWINSに馬券を買いに行ったことがあった。帽子をかぶり、赤ペンを耳に挟めば中学生とはバレないだろう、むしろバレるはずかない、と自信満々だったが、警備員にすぐにばれて追い出された。そりゃ汚れた親父だらけの場所にピカピカの中学生がいたらバレるに決まってる。
ダビスタ仲間ではなかったが、競馬キチガイの親父をもつ同級生が一人いて、WINSがダメだとわかった後はそのおやっさんに頼んで馬券を買ってもらっていた。
G1の馬券しか買わなかったが、メジロドーベルの阪神三歳牝馬ステークスを一回だけ当てることができた。確か1万5千円ぐらいもうけがあったと思う。そしてそのもうけを全部有馬記念にぶち込み、見事全部はずした。
マーベラスサンデーを軸に買ったがサクラローレルだけはからめなかった。何故かその当時の僕はサクラローレルが嫌いだったからだ。
その年の有馬のことだけは忘れられない。
僕の人生の中で一番ドキドキしたレースだった。

さらに競馬好きが興じて、その世界で働きたいと思うようになった。
中学3年、進路選択の時期だ。
具体的には騎手になりたかった。
だが、僕は騎手になるにはあまりに背が高すぎた。
それでも何かしら馬に関わる仕事がしたいと競馬学校に行くことを望んだが、母も先生も、誰も僕に味方してくれるものはなかった。
人生の選択について一番思い悩んだのはあの中学3年生の時期だった。
その後のどの瞬間よりも。

いまだにあの時競馬学校に行ってたらどんな人生だったろうと夢想することがある。
その時はいつもワクワクするような、少し寂しいような、そんな気持ちになる。
人生は二者択一の連続だけど、自分でつかみ取れる選択はそんなに多くないのかもしれない。

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僕らの時代のヒーローホース、ナリタブライアンを描いた。現在でも僕は彼が最速だと思っている。その点でマイクタイソンに近い。ダビスタでの第一関門はこのシャドーロールの怪物に勝つことだった。