ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

嫌な奴になろうと思う

最近、酒を飲むことが多くなった。いや、昔から酒は一人で、あるいは友人ともよく飲んでいたが、ここ最近職場の人と飲む機会が増えた。

付き合いはなるべく断るまいと思ってこれまで職場の誘いには顔を出すようにしてきた。しかし、ここ数日で気がついた。
職場の人間と飲む酒は全くうまくもないし、楽しくもないということに!

もしかすると、ずっと気がついていたのかもしれない。気がつきながらしかし、講師という職業柄人間関係も大事だろうと、ここ数年無理に自分をねじ伏せてきたのかもしれない。あるいはもしかしたらわかってもらえるかもしれないという、コンデンスミルクより甘い幻想を抱いていたのかもしれない。それは無理だ。わかってはもらえないし、わかってもらう必要もない。

もともと職場の人と話すことなど何も無いのだ。教師として生きていこうと決意しているものと、教師という存在に疑問を抱き続けているものがどうして分かり合える?ウサギとカメが手を取り合うより無理な話だ。

そんな無駄な努力を続けても、虚しいだけだ。どうして酒を飲んで虚しくならなければならない。
それだったらまだ一人で、自分に向かって酒をガンガンにブチ込み続けてる方がよっぽどましだ。

付き合いが悪いと思われてもいい、つまらない奴と思われても嫌な奴と思われてもいい。
周りに気を使って己の金と労力と時間をドブに捨てるようなマネはやめよう。もっと大事にしなければならないことが僕にはあるはすだ。

何と言って、自分に何の喜びも与えぬものに気を使う必要などないじゃないか。それは結局、周りに気を使っているようでいて、自分を可愛がっているだけだ。
そうして周りから「付き合いの良いヒョウキンな奴」ぐらいの評価をもらってうれションもらしてんのが今の自分だ。そんなものが何になる?バカかお前は。

無意味だ。本格的に無意味だ。
そんな風に自分をかわいがって、甘やかすことに必死になっている間に、何にもしないで僕は死んでしまうぞ。

小4の時、僕は母親に向かって言った。
「周りがどう思おうが、自分には関係ないじゃないか」
そうだ。その通りだ。
10歳の自分の方が、それから26年後の自分よりよっぽどわかっていた。

周りに理解を求めても無駄だ。自分のやりたいことも、やるべきことも自分にしかわからんのだ。
それは周りと折衝しないからこそ得られるものだし、成し遂げられるものだ。
寂しいけど、僕にとっての「それ」はそういうものだ。
少なくとも周りの評価などという無意味なものに気を使っている間は、どうしようもない。

無意味なことはやめよう。自分で自分に、胸クソが悪いぜ。