ソーリーベイベー

一非常勤講師の覚え書きです。天津飯をこよなく愛しています。不定期更新です。

伊予三島へ

出稼ぎの中休みを利用して、僕の故郷である伊予三島へ、嫁さんと二人行ってきた。

そこは大王製紙の工場がある街で、いつでも生臭いような、いや生臭いというよりはまさに「生」というような、そんなような匂いがしていた。僕はその少しクサい匂いが大好きだった。その匂いを嗅ぐたび伊予三島にいながら、伊予三島を思い出した。

ばあちゃんの家は海岸から坂を上っていったところにあって、坂に沿ってキレイな家が立ち並ぶ中、ばあちゃんの家だけはうっそうとした森みたくなっていた。キツい日差しの坂を上った先にある静かな、暗いその空間に入る瞬間の心触りを忘れることができない。

初めての一人旅も伊予三島だった。確か小学2年か3年の頃だったと思う。大阪の南港を夜に出発するさんふらわあ号にチビだった僕は一人乗り込んだ。その船は朝一番に川之江港に着くのだが、それを逃すとそのまま西予、九州へと向かってしまう。寝過ごすのが怖かった僕は同じ2等船室の雑魚寝のおじさん一人をつかまえて、必ず朝起こしてくれるよう頼んだ。無事に朝起きたはいいものの、川之江についてから伊予三島までのバスの方が大変だった。当時まだバスというものを一人で利用したことがなかった僕は、運賃の仕組みがとんとわからなかったのだ。整理券というものを何故取らなければいけないかが理解できなかった。結果、降りるべき停留所になって、バスの運ちゃんにいくらか聞いて時間を取らせ、ものすごく怒られたことを記憶している。

あなごを初めて食べたのも伊予三島。幼心にこんなにうまいものが世の中にあるものかと、大変驚いた。以来、あなごは夏の伊予三島の一番の楽しみとなった。愛媛の人の夏はうなぎではなく、あなごだと今でも勝手に思っている。

伊予三島での情景一つ一つがキラキラとして、全て僕の心の中にしまわれているようであった。嫌な思い出など一つもない。幼年期から僕が大学へ入るまでの全ての美しい思い出は伊予三島にあると言っても過言ではない。僕はあの街が好きだった。

その街へ、嫁さんと二人。ばあちゃんが大往生して以来、久しぶりの伊予三島だった。

車で着いた時まるきりどこだかわからなかった。認識が追いついてないのではなく、街が変わり果ててしまっていた。ばあちゃんの家も、その愛した庭も無くなってしまって、現代感丸出しの家が二軒ポンポンと建っていた。いとこと遊んだ市民プールは無くなり、バスケの練習をした公民館の駐車場はおろか、公民館すらも無くなってしまっていた。坂を上りきったところにあったクサい養鶏場はでかいバイパスの下敷きに、ばあちゃんちの近くのボロボロの商店はコンビニに、役所はガラス張りの空中廊下を持つ建物に、デパートFujiはなんだかよくわからないちんちくりんのスーパーになっていた。さらには伊予三島特有のあの匂いすら、なんだか薄まってしまってほとんど匂ってこない。僕の愛した街が消えてしまっていた。もう僕の愛したあの風景には、永遠に出会えないんだ。

それでも、図書館だけがそのままのたたずまいで残っているのを目にした時、涙が出そうになった。僕の思い出の全てが書き換えられてしまったような気がして、何か一つでいいから昔あった場所が変わらないでいて欲しかった。図書館の前で嫁さんに写真を撮ってもらった。

それからかすかに記憶にある墓へ。違う違うと言いながらたどり着いた墓は、お盆なのに草が生い茂って荒れ果てていた。人間を焼き焦がすような炎天下の中、ぶっ倒れそうになりながら嫁さんと心ばかりの草引きをした。この場所もそのまま残って欲しいと思った。それから幼い頃親父からよく話で聞いた大叔父に手を合わせ、伊予三島を後にした。

寂しく、悲しく、だけど少しだけ嬉しい故郷への旅となった。

これから僕は灼熱の上海へ。出稼ぎの第二ラウンドだ。生きて帰ってきます。